2015年09月30日

本『島田荘司全集Ⅱ』2

 以下の文章では、本『島田荘司全集』の内容に触れています。ご了承ください。

 (1の続きです)
・嘘でもいいから殺人事件
 怪しげなドキュメンタリー番組を作るテレビのスタッフが巻き込まれる殺人事件。
 いかにもお金持ちの男が全身ブランドもので登場するのも、美女たちがルイ・ヴィトンのバッグを持っているのにも時代を感じさせられた。語り手の隈能美堂巧(くまのみど・たくみ)は、御手洗シリーズの短編にも語り手として登場したことがある人物。意外にも廃墟ファンらしく、こんなことを言う。
 「文明が、その内包する本質をもっとも美しく見せるのは、それが滅び、廃墟と化したときである、ボクは以前からそんな気がしてならない。」
 話全体は、著者の言うとおり、ユーモア・ミステリー。

・漱石と倫敦ミイラ殺人事件
 これだけは、出版された時に読んだから、再読。その頃は漱石への興味で読んだ。シャーロック・ホームズのファンに対してこれではちょっと気の毒ではないかと思ったのは覚えている。漱石から見たのと、ワトソンから見たのと、二つの視点から事件が描かれるのだが、漱石から見たホームズは、前半では、とてもまともに推理できないような状態に見えるからだ。
 今読むと、作者のホームズへの愛憎入り混じった思いが見えるような気もする。漱石についての、わりと知られていること(ロンドンで、精神的におかしくなったと伝えられたこと)などが上手に取り入れられていて、遊び心のある推理ものとして楽しめた。  

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2015年09月30日

本『島田荘司全集Ⅱ』1

 以下の文章では、南雲堂の『島田荘司全集Ⅱ』の内容に触れています。ご了承ください。

 島田荘司さんの「御手洗潔シリーズ」を読んでから他の作品も読み始めて、今回図書館から借りてきたのは、これ。1984年に発表された4作品が入っている。
・寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁
・出雲伝説7/8の殺人
 この2作品は、どちらも列車を使っている。前者は「その時間は私は列車に乗っていた」というアリバイを作って犯行に及ぼうとするが、それがうまく運ばず、後者は複数の列車、その停車時間を利用して切断した死体の受け渡しや遺棄が行われる。どちらも時刻表を詳細に見ないと組み立てられない話だが、寝台車そのものがなくなれば、話は成り立たなくなる。寝台車の個室でなければ犯罪は行えないからだ。「はやぶさ」の場合はアリバイ作りに利用されただけという感じだが、「出雲伝説」の場合は「八俣の大蛇」伝説を踏まえている。犯人はそれを匂わせるために、切断した遺体を7箇所に送り、首だけは自分で埋めにいく。7つのローカル線で運ばれる死体。
 しかしこれも現在は不可能だろう。倉吉線が廃線になったからだ。きっと他にも私の知らない、今は使われなくなった駅や廃線になったところもあるに違いない。
 列車で旅する人がそれなりにいて、長い区間を走っていく寝台車があったからこそ、こういうミステリーも成り立ったのだ。

 ここで、いったん切ります。  

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2015年09月28日

本『あなたの本当の人生は』

 以下の文章では大島真寿美の『あなたの本当の人生は』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 大島真寿美の作。『いつか目覚めない朝が来る』では、もと大女優を取り巻く人々を描いた作者。ここではもとベストセラー作家(今はもう書いていない)をめぐる人々を描く。
 作家のペンネームは森和木ホリー。その弟子(というよりお手伝い?)として住み込むことになった國崎真実。以前からホリーさんのところに通っている秘書の宇城圭子は、市民会館の事務員だったがホリーさんにスカウトされ、スケジュール管理や契約書の整理や電話の応対などをこなしている。最近では、ホリーさんの書くはずのエッセイを(本人が書かないものだから)宇城が書いている。ホリーさんのファンでもある國崎はそれを聞いて怒るが、「あなたもそうなるわよ」と言われる……
 では、ゴーストライターの話なのかというと、そうではない。
「どのように書き始めて、書くようになるのか、書き続けるか」についての話なのだと思った。結局、宇城はホリーさんの死後、ホリーさんについてのエッセイを書き続けていくことになる。國崎はホリーさんや訪れる人にふるまうコロッケを作っているうちに、お惣菜屋を開くことになり、書くことからは遠ざかっていく。
「書く」ことがどんなふうに始まり、どうやって終わっていくのか、なんて定義づけることはできないけれど、こんな例もあるのじゃない?とちょっとだけ見せてくれたような話。  

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2015年09月28日

『仮面/ペルソナ』

 以下の文章では、映画『仮面/ペルソナ』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 題名だけは聞いていたけれど見たことのなかった映画、というのはあって、これもそのひとつだった。イングマル・ベルイマン監督作品。
 冒頭を見てまず、こんな実験的と言っていいような映像から始まっていたのかと思った。目のアップ。起きる少年。少年の触れる壁にぼんやり映る大きな顔。
『エレクトラ』出演中に言葉を発せなくなった女優のエリーサベットと彼女の世話をする看護師のアルマ。心身に異常が見られないため、病院ではなく院長の別荘で二人は生活することになる。院長は、女優であるエリーサベットが「本当の自分になりたい」「自分をさらけ出したい」と考えて、言葉を発すれば「演技」と見なされるので、それをしなくなったのだろうと考えている。アルマは有名女優の世話をすることを素直に喜び、話さぬエリーサベットに代わるように話し続ける。自分の体験をエリーサベットに聞かせる。
 そうするうちにアルマはむしろ、話さぬエリーサベットに自分のほうが取り込まれていくように感じる。訪れたエリーサベットの夫(目が悪い)は、アルマをエリーサベットと思い込む。
 アルマがエリーサベットに向かい「あなたのようにはならない」と言って、二人は別荘を引き上げる……と書いたが、映画の印象はもっと曖昧で、実はもうアルマの中にエリーサベットは分かち難く存在しているのではないかという気もするし(二人の顔を半分ずつ合成してひとつの顔にしている場面がある)、エリーサベットがこれからどうなっていくのかもわからない。
 ただ、白黒のシャープな画面で、ときに刺激的な映像やセリフを入れながら、何となく私たちがあると信じている「個性」や「人格」に揺さぶりをかけたかったのだろうな、と感じた。  

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2015年09月24日

本『岸辺の旅』

 以下の文章では、本『岸辺の旅』(湯本香樹実)の内容に触れています。ご了承ください。


 湯本香樹実というと、お年寄りと子どもの交流を描くというイメージが強かったので(たとえば『夏の庭』や『ポプラの秋』)、へぇ、これは夫婦の話なんだ、と思って読んだ。
 3年前に失踪した夫が、夜中に突然帰ってくる。夫はすでに死んでいて、ここまで戻ってくる途中にあちこちで世話になったと言う。その、夫の世話になったところを今度は妻と一緒に逆にたどる。そういう旅だ。
 死者が戻ってくる、という話はよく作られrる。話によっては、死者は飲んだり食べたりはしないという設定になっているが、ここでの夫は普通に飲食する。夫が死んだ場所まで戻る途中で、夫が世話になった人たちに再会していくのだが、新聞店の島影さん、ひよどり中華店の神内さん夫妻、タバコ栽培をしている星谷さん、その娘と孫・・・・・・
 実は島影さんもすでに死んでいる人であり、神内さんの妻は幼くして亡くなった妹のことにこだわっており、星谷さんの娘の夫は亡くなっている。
 では死に彩られた陰気な話かというと、そうでもない。そもそも主人公がしらたまを作っている時に、それが好物だった夫が帰ってくるのだが、何度か登場する「食べる」シーンは楽しい。死んでからも、しっかり食べられるうちは「まだ大丈夫」だそうで、だから「食べる」ことは、ほとんど死の対極として、こんなに楽しそうに描かれるのかもしれない。
 ひとことで言えば「ある人の死を納得するまでの話」なのだろうが、適度にリアルな要素(夫の失踪後に主人公がどうしてきたとか、夫がどういう人物だったとか)を投げ入れながら、キレイにすくい取っている感じがした。  

Posted by mc1479 at 14:02Comments(0)TrackBack(0)

2015年09月22日

『黒衣の刺客』

 以下の文章では、映画『黒衣の刺客』の内容に触れています。ご了承ください。

 ホウ・シャオシュンがカンヌで監督賞を受賞した作品。
 チラシに「最も美しく、最も静謐な、新しい武侠映画」とある。

 そして、その通りなのだ。殺陣のシーンはキレがよいのだが、派手な声や音は出ない。なるほど、暗殺者というのは、こういうものかもしれない。
 いきなり始まるアクション。そしてアクション以外の場面は極めて静か。というリズムにちょっとついて行けなかった。
 もちろん、美しい風景などの見どころはあるのだが、中国の国境付近を主な舞台としていて、たとえば華麗な宮廷のようなものをもっと見たいと思っていると、あてがはずれる。
 遣唐使の青年役で妻夫木聡が出演していて、「生と死が渦巻く物語の中で」「中和剤のような役割」と自分で言っているが、それはその通り。彼のファンが満足するのかどうかはよくわからないが、違和感なく溶け込んでいた。  

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2015年09月22日

『キングスマン』

 以下の文章では、映画『キングスマン』の内容に触れています。ご了承ください。

 コリン・ファースが50歳を越えてからスパイ映画でアクションを見せるとは思わなかった。
 1960年前後生まれの(コリンはちょうど1960年生まれ)かつての英国美形アクターの中では、どちらかというと地味な存在だったコリンがアカデミー賞をもらった時には「ほお」と思ったものだが、その後も多様な作品に出演し続けて、そして、これ。
 マシュー・ヴォーン監督の『キック・アス』はテレビで見たことがあったので、アクション場面はしつこいほど長いだろうというのは予想できた。そして、コリンのアクション場面は、いい。
 ここに出てくる悪人の主張もわからなくもない。人間がいるから、地球に悪影響を与えるのだ。だから、人間の数を減らそう--ただし、自分の仲間は残して。そう考え始めると、うまくいかない。
 結構残酷なシーンもあるので、15Rだが、スパイもののパロディのようで、話は考えて作ってある。でも、あれこれ詰め込んであって、なんというか--コリンはおしゃれなんだけど、映画自体はおしゃれではない。  

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2015年09月08日

本『いとま申して~『童話』の人びと』

 以下の文章では、北村薫の本『いとま申して~『童話』の人びと』の内容に触れています。ご了承ください。


 三部作のうち、先に第二作の『慶應本科と折口信夫』を読んだので、戻って第一作を読んだ。作家の北村薫が、自分の父(明治42年生まれ)の日記をもとに書いたもの。

 その時代を描いたものでもあり、その頃に生きたひとりの中学生~高校生の姿を描いたものでもある。
『童話』という雑誌があり、投稿を募っていた。父の作品が一度入選して、選評も載る。それによって父は「作品を書くこと」にこだわるようになり、同人誌に参加するが、その同人誌も休刊になる……
 そういう、ちょっと昔の、創作に関わろうとした少年の誰もが味わったような経験がつづられていく。
 ただ、作者の父のことをさほど知りたいと思わないような読者にとっては、興味深いのは『童話』には、後に有名になった人たちが投稿していたことだろう。
 金子みすゞ。彼女は何度も入選していた。
 淀川長治。『童謡』の部で佳作になった。しかし淀川らしさが表れているのは通信欄(読者からの手紙)だと作者は言う。そのお便りがひとつ引用されているが、確かに興味深い。
「まあ! 素的ですね」から始まって、「では、サヨナラ」で終わる。この人の語り口は中学生の頃からもう出来上がっていたのだ。
 後年になって作者の父は、テレビに出てくる人が、かつて自分と同じ雑誌に投稿していた人だと気づいたのだろうか?
 そんなことも思いながら、読んだ。  

Posted by mc1479 at 08:10Comments(0)TrackBack(0)
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