2012年09月28日

単騎、千里を走る

 封切時には見ていなかったので、ケーブルTVで放映されたのを機に、見た。父が長年疎遠にしていた息子が入院したので見舞いに行こうとするのだが、息子からは会うことを拒まれる。息子が中国の仮面劇を研究していて、「また撮影に来る」と約束していたことを知った父は、代わりに撮影してこようとするのだが…というストーリーよりも、ここでのコミュニケイションのとり方がすべて「仲立ちを介してのもの」なのが興味深かった。父は、息子の妻を通じてしか、息子の気持ちを知ることができない。息子が撮影しようとしていた演者は服役中とわかり、会うためには何人かの人を介さなければならない。やっと会えたその演者は「息子に会いたい」と泣き出して、その息子を探すはめになる。男に同行してくれる人は日本語があまりわからないので、男は携帯電話でもっと日本語のわかるガイドに訳してもらわなければならなかったりする。
 そんなふうに、コミュニケイションというものの持つもどかしさを描いているのかな、とも思う。
 服役中の演者は結局息子に直に対面はできないし、そのあいだに主人公の息子も日本で死んでしまう。
 息子の病状が悪くなった時点で帰って対面してやればいいのに、と思ったが、この映画はあくまでも「直接の交流」を排除するのだろう。
 もう見せる相手のなくなった劇を、主人公はそれでも撮影する。
 話の筋にそれほど乗り切れたわけでもなく、主人公に入れ込むこともできなかったのだが、ここまで徹底して「コミュニケイションとは一対一で行うのではなく、誰かを介するもの」として描く姿勢にちょっと感心した。  

Posted by mc1479 at 16:21Comments(0)TrackBack(0)
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