2012年06月07日
ミッドナイト・イン・パリ
ままならぬ現状にいる主人公が憧れの別世界へ行ってしまう・・と書けば、はるか以前の「カイロの紫のバラ」を思い出すが、それとは少し違う。あの時は映画の世界に入っていく女主人公が描かれたが、ここでは主人公(男)は、時を越え、自分の憧れの時代のパリに行く。1920年代のパリ。フィッツジェラルドやヘミングウェイやピカソやダリがいる世界。真夜中過ぎにやってくるクラシックカーに乗っていくとそこは別の時代、というのはなかなかスマートな行き方だ。あちらの世界から帰ってきて、またつまらない現実を生きていくという最後なのかな、と勝手に予想していたら、少し違った。
彼の憧れの時代に住む美女は、もっと昔のベルエポックのパリに行きたい、と言う。でもベルエポックの人たちはもっと昔が良かったというかもしれない。誰もが自分の時代より「昔が良かった」と思うことを主人公は実感として知るのだ。しかも、本当に昔の時代に行ってしまったら、そこでは自分は生きていけないことを彼はわかっている。
現代に戻ってきた彼が自分と価値観の一致しそうな人と出会う、意外なハッピーエンド。ちょっと出来過ぎの感じもするが、「パリならこんな魔法のようなことも起きるのさ」と言われたら反論できない気もする。
彼の憧れの時代に住む美女は、もっと昔のベルエポックのパリに行きたい、と言う。でもベルエポックの人たちはもっと昔が良かったというかもしれない。誰もが自分の時代より「昔が良かった」と思うことを主人公は実感として知るのだ。しかも、本当に昔の時代に行ってしまったら、そこでは自分は生きていけないことを彼はわかっている。
現代に戻ってきた彼が自分と価値観の一致しそうな人と出会う、意外なハッピーエンド。ちょっと出来過ぎの感じもするが、「パリならこんな魔法のようなことも起きるのさ」と言われたら反論できない気もする。
2012年06月05日
「11・25 自決の日」三島を描いた映画
三島由紀夫を描いた映画としては、もうずいぶん前にアメリカのポール・シュレイダーが監督した「MISHIMA]というのがあった。あれは三島の最後の1日と三島の作品をからめて描いていた。だからあそこで描かれた三島の死は、彼自身の作品のようにも、作品を完結させるためのものにも見えた。
今回の若松孝二監督作品は、構成に三島の作品をまったくからめない。作品名すら、ほとんど出てこない。作家ではなく、ある思想を実現しようとする行動家。その「実現しようとするもの」には感情移入しにくいし、途中からは三島本人も楯の会の若者も、実現は不可能と知りながら、思想表明のために自決することこそを目的としていったように見える。もちろん最後まで三島は熱弁をふるうのだが。
井浦新が三島を演じていることが、この映画の雰囲気を決定づけたようにも思われる。彼が演じると不思議に幸薄い理想主義者のような雰囲気をまとうのだ。その雰囲気がこの映画にとってプラスになっているのかどうか、判断が難しい。ただし、最後まで三島という人物を押しつけがましくなく見せきっているのは確かだ。
今回の若松孝二監督作品は、構成に三島の作品をまったくからめない。作品名すら、ほとんど出てこない。作家ではなく、ある思想を実現しようとする行動家。その「実現しようとするもの」には感情移入しにくいし、途中からは三島本人も楯の会の若者も、実現は不可能と知りながら、思想表明のために自決することこそを目的としていったように見える。もちろん最後まで三島は熱弁をふるうのだが。
井浦新が三島を演じていることが、この映画の雰囲気を決定づけたようにも思われる。彼が演じると不思議に幸薄い理想主義者のような雰囲気をまとうのだ。その雰囲気がこの映画にとってプラスになっているのかどうか、判断が難しい。ただし、最後まで三島という人物を押しつけがましくなく見せきっているのは確かだ。