2016年10月19日

夏目漱石の妻(ドラマ)

 以下の文章では、テレビドラマ『夏目漱石の妻』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 NHKの土曜ドラマ。連続4回。と言っても、1回が75分、CM無しだから、かなりの量。漱石の妻・鏡子のいとこにあたる房子がナレーターをつとめ、途中から房子自身、夏目家で家事手伝いをするようになる。
 あくまで「妻」中心だ。だから、ロンドンでの漱石は一場面も描かれない。もちろん、ロンドンで調子が悪くなったらしいという噂を聞いた鏡子の反応は描かれる。そういう意味では、妻・鏡子を演じた尾野真千子を堪能するドラマだったと言っていい。
 正直言って、このドラマでは、鏡子がなぜ漱石を愛したのかは、よくわからない。漱石の側は、たぶん自分よりタフなところのある鏡子に惹かれたのだと思う。
 ここで描かれる漱石は、ひと昔前の「モノを書く主人」のイメージそのものだ。家によく人が来る。学生もいるし、自身の体験を小説にしてくれと言う者もいる。そして彼らは平気で食事をしたり、夜遅くまで居座ったりする。妻としてはたまらないだろうが、その頃はまだお手伝いさんもいたから、ましだったのか。しかし、家計はいつも火の車で、朝日新聞へ入社してそれまでより高い給料を取るようになっても、あまり裕福そうには見えない。それなのに、漱石は自分の「良い本棚」は、妻に相談もせずに買う。
 現代の女性には、なぜ鏡子がそんな漱石と生活を共にし続けたのか、わかりにくいだろう。そのために鏡子のほうが先に、知的に見えた漱石に恋をした、という設定にしているような気さえする。漱石を演じるのも、小柄だった実際の漱石とは違って、長身の長谷川博己である。
 結婚したばかりの頃の鏡子は、なかなか朝早く起きられないのだが、それがずっと続いていたほうが面白かったのに、という気もする。そういう図太く見えるところのある鏡子なら、漱石は離れられないだろうし、鏡子自身も、まあまあこんなものだから、と割り切って生活していけたように思う。
 しかしドラマでは、第1回で結婚間もない頃、漱石は自分が養子に出されていた体験を話して、愛情を素直に受け取れないというようなことを鏡子に話す。ならば、その漱石が愛情を素直に出せるようになっていく過程を描いてくれたら、ドラマとしては見ていて納得がいくだろう。ところが、そういう過程は描かれない。専業作家になってからの漱石はますます気難しくなっていくように見える。それなのに、ラストでは鏡子が悩んだ末に一応の平穏にたどり着いたように見えるから、その軌跡が今ひとつ納得しにくい。ドラマとしての昇華、というのか良かったという思いが少ない。
 ただ、いつもNHKのドラマを見ると感じることだが、セットや衣装は素晴らしいし、丁寧なつくりだ。漱石の養父が竹中直人で、大塚楠緒子が壇蜜というキャストも面白かった。  

Posted by mc1479 at 09:00Comments(0)TrackBack(0)

2016年10月12日

巨悪は眠らせない

 以下の文章では、2016年10月5日に放映されたドラマ『巨悪は眠らせない』の内容に触れています。ご了承ください。

 真山仁『売国』のドラマ化。テレビ東京が本社の移転を記念してつくったドラマの3本目。1本目が、宮部みゆき原作の『模倣犯』、2本目が湊かなえの短編のオムニバスだった。この2つはミステリーであり、殺人事件があった。それに対して『売国』にはあからさまな殺人はないし、恋愛もない。派手なアクションもない。これをドラマにするのは、けっこうな冒険だと思った。

 原作の『売国』では、検事の冨永真一と、宇宙研究・ロケット開発に携わる八反田遥の物語は独立して交互に語られ、二人が出会うのは一度だけだ。政治家のヤミ献金を追ってきた冨永が、その政治家が宇宙開発にからんでいることを知り、学者を巻き込んで、アメリカに研究成果を売らせようとしているのではないかと疑う。それが八反田の師事する寺島教授だ。だから、二人が出会った時の八反田は、富永にいい印象を持たない。
 ドラマでは、二人を早くから出会わせた。二人の話が絡み合ってクライマックスへ向かうところを描きたかったのだろう。原作に描かれた要素を少しずつ、順序を変えたりして取り入れているが、大きな違いは富永が独身だということ。その設定を聞いて、八反田との恋愛話になったら嫌だなと思っていたが、そうはならずによかった。
 時間的制約があるからか、富永は原作よりストレートに悪を暴く方向に向かうように見える。特に上司に直接「捜査を続行させてください」と訴える場面があるから「熱く」見える。しかし、その熱さ、若さは「永田町のドン」と呼ばれる橘との対比のためにも有効だったのだろう。橘は長年にわたって自分の本当の立場を隠し、周りを欺いてきた男だ。そんな橘と向かい合って話す中で(富永の親友・左門がそれ以前から橘に、富永のことを話していたとしても)橘に信頼感を抱かせるには、熱さと共に理解力・推理力を持つ人間だということを示す必要がある。自分の考えを橘の前で話した富永に、橘は満足そうな表情を浮かべる。
 独身の富永の部屋は、仕事に熱い彼が自分をクールダウンさせるために作っている休息所のように見えなくもない。クラシックの音楽、ジグゾーパズル、冷蔵庫に入った大量の水。それを見ると、なんだか現実味の薄い人間のようだが、親友・左門や実家の父への思いが見える場面が富永の人間味を出している。
 要所で出てくる階段も印象的。上司に訴える富永が駆け上がる階段。記者会見を開いて自分を逮捕させようという橘がしっかり前を見据えて一歩一歩踏みしめて上る階段。逆に内閣官房長官の中江は階段を下りかけたところで検事たちに同行を求められ、そのまま下っていく。
 そういう象徴的なシーンも入れながら、抑えた演出で、音楽も邪魔にならないがスリリング。原作よりも富永の明るい力強さの見えるラストにしたのも、後味が良かった。  

Posted by mc1479 at 09:52Comments(0)TrackBack(0)
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