2018年08月30日

ハッピーアワー(映画)感想

 ケーブルテレビにて放映された『ハッピーアワー』を見ての感想です。内容・結末に触れています。ご了承ください。


 長い。ただし、これだけ長いと、登場人物の人生に付き合っている気がするのも確か。三十代後半の四人の(よく一緒に行動する)女性を描く。
 看護師のあかりが一番言いたいことを言うキャラで、彼女がいるから話がわかりやすいという点もある。もちろん大人だから、気遣いもするが、基本はストレートな人。彼女が語る看護師の大変さ、がまず印象に残る。高齢化が進んでいるから、長期入院中に認知症を発症したりもする。もしそういう患者さんが病院をさまよい出て事故に遭ったり自殺をしたりすると、看護師が「業務上過失致死」に問われる、だから多くの看護師は保険に入っている……という話。
 結婚して中学生の息子がいる桜子は一番平凡そうな主婦という立場だが、終盤に至って長くセックスレスだということを ふみに打ち明ける。
 その ふみは学芸員(公務員?)で企画を立ち上げる係。夫のたくや(編集者)には、仕事とプライベートは分けたい、と言いつつ、夫が起用してくれないか、と言った作家の朗読会をすることに。
 
 人と人の距離をどうとるのか、という話なのだと思っていた。はじめの頃に出てくる、背中合わせで立ち上がる、額を寄せ合う、お腹の音を聴く、という体を使ったセミナー。
 若い看護師に世話してもらうのを単純に喜ぶ患者と、その若い看護師を抱きしめ「ほんまに柔らかいわ」と言うあかり。
 ふみと夫のような、わりとあっさりした関係(でも夫は ふみの帰りに合わせてカレーを作ってくれていたりする)は私には良いように見えるのだが、ふみ以外の三人には「間に一枚幕があるよう」に見えるらしい。離婚に向けて裁判中の純は、夫が自分と本当には触れ合っていないと感じているようだ。つまり、四人は意外と濃厚な関わりを求めているらしい。
 四人で温泉で過ごした後、純は失踪する。偶然バスに乗り合わせた、昨日写真を撮ってくれた女性とも会話も面白いが、この女性も電話で聴いた話ではよくわからないので実家へ帰るところだという。つまり、直接会わないとダメ。
 それらの描写から見ると「直接言い合うこと、触れ合うこと」がここでは重く見られているのだろうなあと思う。
 けれども終盤近くなって、その濃厚なふれあいというのがセックスに傾いていくのはどうかな、という気がした。あかりも桜子も、好きなのかどうかはっきりしない相手とセックスする。それが、彼女たちの求める人間関係の充足につながるのだろうか。もちろん、直接的にはセックス場面は描かれないのだが、それだけに「避妊はしたのだろうか」という不安も誘う。避妊もしないのなら、桜子の息子(中学生)と同じだ。私には、どうしても「人とつながる」よりはまず「自分を大切にする」ことを望むところがある。だから、彼女たちが危うくて仕方ない。


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