2015年06月26日

アジアハイウェイを行く

 以下の文章では、テレビ番組『アジアハイウェイを行く』の内容に触れています。ご了承ください。

 わりと真面目に見たテレビ番組(NHKのBSプレミアム)。
4月、5月、6月と3回に分けて90分ずつ放映された。旅人は井浦新。
俳優としてよりも(毎週見るもので)『日曜美術館』の司会としてのイメージが強くなってきた彼だが、写真も撮る。どんな写真を撮るのか見てみたかったのも、興味のひとつ。
 トルコから始まって、グルジア、アゼルバイジャン、イラン、イラク、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスへ。
 トルコだけを旅行する番組も結構あったと思う。親日的、というのもたぶん本当なのだろう。バザールの、ある店主に日本語で話しかけられ、井浦さんもお宅にお邪魔したり。また、地方の貧しい若者がチェーン店のオーナーになるような夢が叶うのも、ここの首都イスタンブールなのだという話を聞いたりもする。
 グルジアを始め、かつてソ連に組み込まれていた国で聞かれるのは「独立してからは、宗教的儀式もできるようになった」「民族衣装も着られるようになった」と喜ぶ声。一方で、いきなりの独立の後に産業を興すのに苦労した国も多く、今も失業率の高いところもある。
 
 たとえば、芸術とか、何か一面に限るのならともかく、人々を様々な面からとらえようとするこういう番組では、旅人も大変だろう。都市の再開発のため自宅が壊されている途中、と語る男性に、何を言えばいいのか。
 井浦さんが希望を出して立ち寄ってもらったのは、1987年のイラン映画『友だちのうちはどこ?』に出てきた村。実は1990年の地震の後、復興のめどが立たずに住民は下の村へ移住したため、ここはがれきの山のままだった。
 かつて日本へ働きに行っていた、と言う男性にも出会うし、日本へ留学する予定、と言う女性にも出会う。出会いの旅のまとめは、やっぱりというか「家族」だった。実際、仲のいい家族が何組も出てきた。しかし不用意に政治的なことも言えないだろうし、そういうまとめ方しかしようがないだろうという気もした。
 さて、写真だが、あくまでこの番組の中で井浦さんの撮った写真と、いつも見ている『秘境ふれあい紀行』で玉木くんが撮る写真とを比べただけだが、ずいぶん違うものだと思った。まず、「家族」をまとめにしたことからもわかるように井浦さんの写真は、人物を撮ったものが多い。それも、きちんとこちらを向いて並んだ人たち。もちろん、いい顔で撮れている。面白いことに、数少ない風景写真(夜景やビル群)もまるで肖像写真のようにピタリと決まっている。ゆるぎない感じ。テレビの画面に合わせたのかもしれないが、圧倒的に横長の写真が多い。
 一方、『秘境ふれあい紀行』の写真は縦長が多く、風景が多い。人物写真は今のところ、鍛冶職人、うちわを作る女性(手だけ)、ケーブルカーを運転する男性(背中)。あくまでも移ろいゆくものの一瞬を撮った感じ。写真に関しては私はまったくの素人だが、こんなにも撮り方は違うんだということが感じられて面白かった。  

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2015年06月08日

「玉木宏の歴史タイムトリップスペシャル」

 以下の文章では、6月7日に放映された、同番組の内容に触れています。ご了承ください。

 タイトルは、このあと「戦後70年教科書から消された男~韮山反射炉を作った江川英龍~」と続く。長いよ。一回きりのスペシャルで、内容をできるだけ表そうとすると、どんどん付け加えられて長くなる……ということなのだろうけど。
 玉木くんがナビゲーターで、平田璃香子さんがレポーター。どう違うんだ? 東京から近い所は玉木くんが訪れて(伊豆までは行っている)、長崎などの遠い所や、新開発のタイムトリップビューに関する説明は平田さん、ということらしい。
 このタイムトリップビュー、メガネ式とタブレット状のものとがここでは出てきて、たとえば現在の日本橋に立ってそのメガネを通して風景を見ると、「江戸時代の日本橋(CGで合成されたもの)」が見えるという仕掛け。これを開発したのがフジテレビで、この番組はBSフジの番組。新技術を使って何か番組を作りたい、というあたりから発想されたのだろうか。フジテレビのあるのはお台場。台場というのは大砲を据える台だったことを知る人は少ないだろう。それを作る指揮をとった人、さらには世界遺産登録が勧告された韮山反射炉を作った人。ということで、江川英龍が取り上げられたのではないだろうか。
 この番組を見る前に、本を一冊読んだ。江川と中島三郎助と榎本武揚の三人について書いた『幕臣たちと技術立国』。
「技術」を取り入れ、定着・発展させることを優先した男たちの話。江川も確かに絵や詩文を学んだだけでなく、測地術、刀打ち、後には砲術を学んでいる。本を読んだ時に面白いと思ったのは、蘭学嫌いの幕臣に邪魔をされたり、せっかく西洋の砲術を取り入れた者が現れても、幕府の鉄砲方(役人)が自分たちの地位が脅かされると感じ評価しないあたり。こういう足の引っ張りで世に出られずに終わっていった人もいるのだろう。
 番組では、江川の仕事を紹介するのが主だから、そういう邪魔は描かれない。しかし実際の江川邸、彼が焼いたパンの再現(乾パンのようなものだが大きい)、彼が着ていた着物などが見られるのは興味深い。資料がたくさん残っているのは子孫の方たちが大切にしてきたからだろうし、江川が地元の人から愛された代官だったことも関係しているのだろう。
 番組は、江川の仕事ぶり・人間性をそつなく紹介する。あまり知られていないだけに「へえ~」と思うことも多いだろう。戦前の教科書には偉人として載っていたという江川。戦後消されたのは、韮山が大砲を作る所であり、陸軍の管轄であったことが影響しているとか。
 では、なぜ今、江川を取り上げるのか。
 幕末の海防を重視した男。今また日本は海防に努めるべきだ、という主張に利用されたら嫌だな、と思ったが、さすがにそうは言わなかった。未来を見つめた男、として2020年のオリンピックでお台場も会場になることと結びつけてまとめていた。そうか、フジテレビは東京オリンピック推し、だったっけ。
 ふだんはつぎはぎだらけの着物を着て、地元の農民に軍事訓練を施していた江川。歴史上、彼がもっともカッコ良かった場面は、イギリスのマリナー号が下田に居座った時に、門人、家臣、農民に揃いの軍服を着せ、自らも華やかな野袴と陣羽織に大小の刀を帯びて交渉し、退去させたことだろう。江川は170センチと当時としては長身、目の大きな男で、さぞ堂々としていただろう。
 しかし最も尊敬すべきは、座礁して帰れなくなったロシア船の乗員を全員救出させ、新しく日本で洋式の船を作らせ、そこに参加した日本の船大工にも技術が伝わるようにしたことだと思う。ロシアには感謝され、日本には技術が残った。「何を継ぐべきか」がわかっていた人と言える。
 玉木くんのセリフは与えられたものだろうから、本音が聞けるような番組とは違ったけれど、彼にとっても養分になったのなら、嬉しいことだ。
  

Posted by mc1479 at 14:05Comments(0)TrackBack(0)

2015年06月08日

『サンドラの週末』

 以下の文章では、映画『サンドラの週末』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 ダルデンヌ兄弟の作る映画には、いつも「こういう切り口があったか」と感心させられるのだが、今回もそうだ。
 体調不良から仕事を休職していたサンドラが、ようやく復帰できることになる。ところが、会社から電話。ボーナス支給のために一人解雇しなくてはならず、サンドラを解雇する、というのだ。同僚の一人は「あなたを復帰させるか、ボーナスか」という投票が行われ、主任が圧力をかけたと言う。家のローンがあり、子どもが二人いるサンドラは、「君の働きがないと困る」と言う夫にも励まされ、週末に同僚のところを回る。月曜日の再投票を取り付けたので、自分に投票してほしい、と頼むために。
 同僚の復帰か、ボーナスか。シビアな選択だが、起こり得ることだと思う。「サンドラがいなくてもやっていけることがわかった」「いや、残業が増えると困る」「でも残業代がもらえる」どれも本音だろう。
「君に投票する」と言ってくれるのは、かつて仕事上で助けられた人。主任に脅されたり強制されるのは嫌だから味方する、と言う人。一方で、どうしてもボーナスが欲しいから居留守を使って会わない人もいる。
「物乞いみたい」と渋るサンドラを励まし、手伝う夫は偉い。もしかすると、ダルデンヌ兄弟が創造した中で一番イイ男ではないだろうか。
 結果は、サンドラが言うように「善戦した」とだけ書いておこう。後味は悪くない。  

Posted by mc1479 at 13:13Comments(0)TrackBack(0)
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