2016年09月28日

ドラマ「一の悲劇」

 以下の文章は、9月23日に放映されたドラマ『一の悲劇』の内容に触れています。ご了承ください。


 スペシャルドラマとして放映された『一の悲劇』を見た。興味を持った点は、原作が法月綸太郎ということ(彼も島田推薦を受けてデビューした人のひとり)、脚本が今度の『キャリア』の関えり香だということ。探偵役となる法月綸太郎(そう、原作者と同じ名前)を演じるのが長谷川博己。
 ふた組の夫婦が登場する。山倉志郎(井原剛志)と和美(富田靖子)、富沢耕一(神尾佑)と路子(矢田亜希子)。山倉夫妻のひとり息子・隆史は本当は義弟の三浦靖史(浪岡一喜)の子だが、引き取って育てている。それは、和美が5年もの不妊治療の末やっと身ごもったのに流産して、子が持てない体になったためでもある。富沢夫妻のひとり息子・茂は実は路子と志郎のあいだにできた子。かつて、和美が流産してつらかった時期に、ふたりは不倫関係にあった。志郎はそれをいけないこととして別れたのだが、数年後、山倉夫妻は近所に越してきて、子どもどうしは仲良くなる。
 誘拐しかも誤認誘拐と思われる事件だった。隆史を誘拐したという電話があったのだが、実際に誘拐されたのは、茂。茂がいつも隆史を呼びに来て二人で学校へ行っていたのだが、その日隆史が熱を出して欠席したため、ひとりでいた茂が誘拐されたのでは、と最初思われる。
 実は、夫と路子のあいだの子である茂を見るに耐えられなくなった和美が、三浦に話を持ちかけ、三浦が計画を練った。三浦はミステリを書いたこともあるが、作家にはならず今はテレビディレクターの仕事をしている。それで、その日は法月綸太郎のところへ一日中取材に来ていて、アリバイがあった。実は法月の目の前で脅迫電話をかけていたのだが、あらかじめ録音したものとスマホがあれば、できるのだ。
 朝家まで来た茂を迎え入れてその場で眠らせ、ガレージに置いておき、夜になって殺害したのは和美。山倉志郎は身代金を持って走らされるが、それは茂の遺体を運ぶために時間を稼ぐ必要があったからだ。
 しかし協力者の三浦も、和子は殺してしまう。
 ここでの密室の作り方は『私の嫌いな探偵』にも出てきた、刺された人がまだ息のあるうちに内側から鍵をかける、というのだった。
 警視・法月貞雄(奥田瑛二)が綸太郎の父だし、綸太郎が一緒にいたということが三浦のアリバイになっているので、綸太郎が推理に乗り出したわけだ。
 法月家に長年つとめているらしいお手伝いさんの小笠原花代(渡辺えり)が面白い。コナンや相棒や金田一くんを引き合いに出して、ミステリマニアか?と思わせるが、彼女がいいので、逆に彼女の登場しないシーンが長いと(主に和美目線で描かれる、過去)ちょっとつらい感じもする。
 脚本はダレることはないが、茂が誰の息子かを路子が明かすシーンあたりから延々と流れる歌は必要だろうか? もう少し短くても(2時間以内でまとめても)良さそう。
 それと私は長谷川くんのファンではないので何だが、冒頭出てきたあと30分くらい出てこないのは、ファンだったら物足りないかも。そして、和美が落ちていく場面のやり取りはいまひとつ胸に迫らない。
 タイトルと最初の山倉志郎が駈けずり回されるところの画面分割が、1960~70年代の映画を思い起こさせた。法月家のインテリアはレトロで素敵だが、和美の逃げ込んだ別荘〈?)が安っぽい感じで残念。  

Posted by mc1479 at 10:27Comments(0)TrackBack(0)

2016年09月25日

『模倣犯』物語を壊すこと

 以下の文章では、ドラマ9月21・22日に放映された『模倣犯』の内容・結末に触れています。ご了承ください。


 原作を読んでいないので、まったくのドラマの感想。
 これは「物語についての考察」という面を持っている。現実に決して満足してはいない人物が、物語をつくり出す。そしてそれをできるだけ多くの人に見せたいと思う。衝撃的な話であるほうが注目を集めやすい。
 犯人の発想は、そんなところだろう。もちろんそれまでの生育歴が影響したことは考えられる。しかし犯人の一番の希望は「自分のつくった物語に多くの人が注目してくれること」だったらしい。
 そんな犯人には初めから罪悪感はない。後悔もない。罰されるべきだとも思っていない。自分のつくり出した物語は面白いでしょう? と言っているだけだ。
 そんな時、犯人を打ちのめすのは「あなたのつくり出した物語は、たいしたものじゃない。いや、それはあなたのつくり出したものですらない」と断言することだろう。
 まさに、そういう方法で犯人をやり込める話だった。

 もうひとつ、主人公にとって、これは自分の女性らしさを回復させる、あるいは回復したと見せる結末になっていた。話が進行するにつれて、夫は、家庭よりも仕事を優先し、子どもをつくらないできた主人公に愛想をつかす。
 その夫は、主人公がひとりで弱い立場にいて、助けを求めていると知った時に、彼女のもとへ急いで駆けつける。
 女性らしさ、というのも難しい。もし女性らしさの現れが男性に頼ることだとするなら、兄が犯人と報道されて打ちのめされ、真犯人に優しくされて幸せ、と言う由美子のような道をたどることにもなりそうだ。
 主人公は、初めはたぶん野心から、途中からは責任を感じて、事件を追跡した。その途中で離れていった夫。しかし最後に主人公は夫を頼って、夫を取り戻した。
 もしかすると、事件を追うことを通じて、どのように人を頼るべきかを学んでいったのかもしれないが……  

Posted by mc1479 at 12:53Comments(0)TrackBack(0)

2016年09月23日

増田みず子『月夜見』感想

 以下の文章では、増田みず子『月夜見』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 作者自身の分身らしい、50歳にはまだならないが、若くはない百々子。百々子の父は昔母と別れ、千代と再婚したが、それから10年とたたないうちに急死してしまった。継母の千代は下宿屋を始めて、なんとか百々子を養育してくれた。それから独立して、百々子はもう千代とは何の関わりもないようなつもりでいたのに、千代が入院し、千代の持つアパートの世話(家賃を集めるなど)を、百々子がするようになる。百々子は小説家であるが、入院中の千代を見舞い、アパートの掃除をしてくると、もうそれでその日は原稿が書けなくなったりする。
「孤独を描くのがうまい、というのが、小説を書き始めてからの二十年間に百々子のえた唯一の評価であった。しかし孤独な女主人公の登場する小説というのは、読者には重苦しいものである。」
というあたり、まさに増田みず子自身の思いを描いているのではないか、という気がする。
 しかし、私小説的に百々子の思いばかりを描いているのかというと、そうではない。百々子の日記の形をとった部分、もっと小説的に百々子、千代が描かれる場面、さらに「裏日記」も登場したりする。
 百々子は千代に対して意地悪なわけではないが、これまでお互いどうぞ勝手に生きましょう、というふうに生きてきたので、べたべたとした親しみはない。自分で千代を引き取る想像もしてみるが、あとでその想像の中の千代は食べ物にまったく文句を言わないような、自分に都合のいい人につくりあげていたことに気づく。実際には濃い味の好きな千代は、百々子の作ったものには文句を言いそうである。
 ふつうの会話をしてみたくて、百々子が「がんばって」と言うと、千代に「何をがんばるの」と返される場面など、百々子本人にはつらいのかもしれないが、思わずふっと笑いたくなるような場面も出てくる。
 後半になって、百々子の父の死んだ夜の回想も挿入される。妙にカンの働く千代、病院内で迷ったこと、その時の千代の言葉遣い。それらは百々子がこの夜のことは覚えておこう、と意識したために詳細である。もちろん、後から百々子の都合のいいように変えられた記憶である可能性もあるけれど。
 千代は、百々子は自分の本当の母親に会いに行ったほうがいいのではないかと言うが、百々子は結局それを実行しない。病室内で転んでさらに悪化した千代は、口もきけなくなる。そんな千代の留守宅にいると妙に親しげなおばさんが訪れたり、アパート管理もたいへんだと百々子は実感したりもする。
 全体を通して、千代と百々子の関係がだんだんわかってくるところが面白い。最後の場面で特に何かが劇的に変化するわけではない(千代もまだ生きている)。中学生で父に死なれた百々子は千代がいないと困ったし、今の千代は百々子がいないと困るだろう。都合で結びついてきたわけだが、人と人との関係はそういうものでもあると思うし、その当たり前な描き方がいいと思う。  

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2016年09月22日

荒馬と女

以下の文章では、映画『荒馬と女』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 クラーク・ゲーブルとマリリン・モンローの遺作。タイトルは知っていたが、初めて見た。モンローだけは衣装とメイクが別の人で、そういうのを見ると昔のスター女優さんだなぁと思う。もちろん、現在でも、そういう自分専用のスタッフの付く俳優さんはいるけれど。

 さて、そう思って見ると、モンローだけ衣装が異色。街から出かけた女だから、と言ってしまえばそうかもしれないが、乗馬シーンや野生馬を捕まえに行く場面ではさすがに白シャツにジーンズだが、それ以外は基本的にワンピースにヒール靴。男たちはカウボーイ風が多いから、余計に目立つ。
 離婚直後の彼女にまず目をつけたのは、中古車を買い取りに来た、何でも屋みたいな男。その知り合いがゲーブルで、こちらは完全にカウボーイスタイル。ロデオに行く時出会うモンゴメリー・クリフトもカウボーイ。
 さて、そのロデオを見に行く場面で、一番モンローの服装が目立つ。場をわきまえていない、と言いたいくらい。白地にさくらんぼ模様のワンピースで(襟元も背中もかなり開いている)、白い毛皮のショールまで持っていく。しかし、この肌見せと毛皮は、彼女を野生の動物に近づけて見せているような気がしなくもない。となると、周りの男たちにとって、彼女は捕まえるのが難しいけれどぜひ捕まえてみたい、と思わせる存在だと強調しているのがこの衣装ということになるのだろう。
 そう考えると、野生馬を捕えについていったのに、殺さないでほしいとわめく彼女は、男たちの気も知らずワガママを言っているというよりも、自分に近いものたちを傷つけられるのが嫌だという本能から叫んでいるのかもしれない。
 老カウボーイは逃がされようとした馬をいったん自力で押さえつけたあと、逃がしてやる。逃がすにしても自分で決めたかったと言う。それが彼の誇りなのだろう。
 その代わり、と言っては何だが、彼女が彼についてくる。しかし、彼女を捕まえることや放すことは、もちろんカウボーイの意思だけでできることではない。彼女自身は、今は彼と一緒にいることを望んでいるように見えるが、はたしてどうだろうか。いったん彼女を「野生動物に近い存在」と見てしまうと、ふたりの行く先は予想できない。  

Posted by mc1479 at 13:31Comments(0)TrackBack(0)

2016年09月03日

フランシス・ハ

 以下の文章では、映画『フランシス・ハ』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 公開された時には、それほど何がなんでも見たい映画というわけではなかった。が、ドラマ『きょうは会社休みます。』の第一話で、恋人のいない30歳になる女性主人公がひとりでレディースディに見ていたのがこの映画だったので、興味を持った。だから放映されたら、見ようと思っていたのだ。
 タイトルを見てまず普通の人が思うのは「『フランシス・ハ』の『ハ』って何?」ということだろう。苗字にしては短すぎる。これは最後になってわかるのだが、自分の部屋を借りた彼女が姓名を郵便受けに入れようとして書くのだが、実際の名前入れの部分は思ったより短く、紙を折って入れると「フランシス・ハ」のところまでしか見えない。だから彼女の苗字は「ハ」から始まる何かなのだが、どうもそれが映画中で出てきた記憶があまりない。たいてい「フランシス」と呼ばれているからだ。
 フランシスは28歳で、ダンサーとして正式にカンパニーに雇われることを望んでいるのだが、今のところ実習生という立場。大学時代からの親友、ソフィーと一緒に暮らしている。始まってからすぐにソフィーとお互いに「アイ・ラブ・ユー」と言い合うのだが、同性愛カップルではない。現にフランシスは付き合っている男性から一緒に暮らさないかと誘われるのだが、それだとソフィーがひとりになってしまうから、と断る。彼氏よりも親友優先なのだ。そこには、ひとりで家賃を払うのは無理、という事情もある。ソフィーが具体的にどんな仕事をしているのかはわからないが、ニューヨークは、まだ金をしっかり稼げるような仕事に就いていない人には、ひとりで住めるほど手頃な家賃の賃貸住宅はないのだ。
 ところが、ソフィーのほうは、前々から住みたいと思っていた地区に一緒に住まないかと誘ってくれた人がいるから、とその誘いに乗ってしまう。さらに、仕事の関係で日本へ行く彼氏についていくことになる。

 フランシスは実家に帰ったり、自分の卒業した大学で夏休みにバイトをしてその寮に泊めてもらったりする。
 パリに部屋を持っている、という人の話に乗って、思い立ってわずかな期間、パリを訪れたりもする。

 正直言って、28歳になって、決まった職につけないままに、でも実家に戻る決意はぜす(それはニューヨークでないと、ダンスの仕事はできないから)住処も危うい状態、というのはキツイ。今の日本であまり共感を得にくい立場だとも思う。それでも会話は軽快でくすりと笑わせるところもあり、まずまず見せてしまう。
 会話の多さとニューヨークへのこだわりは、ウディ・アレンの映画を思い起こさせる。最初のほうでフランシスが「ソフィー、大好きよ。たとえあなたが私より携帯が好きでも」と言うと、ソフィーは「携帯は汚れた食器を流しに置きっ放しにしないからね」と答える。そういうやり取りを面白いと思う人は、この映画を好きだろう。
 音楽は、古いフランス映画に使われたジョルジュ・ドルリューのものが使われていて(何の映画かは私にはわからなかった)、白黒画面と相まって、ノスタルジックな雰囲気も醸し出す。そういえば、アレンも白黒で撮ったこともあった。
 ダンサーとして認められそうにないが、振付師としての一歩を踏み出した彼女が初めてひとりで部屋を借りる。その郵便受けに名前を入れるところで映画は終わる。だからひととおりの成長物語とも言えるし、後味は悪くない。けれどもフランシスにとって真剣でもあり人生の大きな出来事でもあったさまざまなことが、傍から見ればちょっとドタバタした喜劇にも見える。そういう醒めた目も持っている映画だと思う。
 ちなみに、『きょうは会社休みます。』の主人公がひとりで見て笑っていたのは、ATMに慌ててお金を引き出しに行ったフランシスが帰り道で走って転んでしまう場面だった。  

Posted by mc1479 at 13:05Comments(0)TrackBack(0)
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