2016年09月23日

増田みず子『月夜見』感想

 以下の文章では、増田みず子『月夜見』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 作者自身の分身らしい、50歳にはまだならないが、若くはない百々子。百々子の父は昔母と別れ、千代と再婚したが、それから10年とたたないうちに急死してしまった。継母の千代は下宿屋を始めて、なんとか百々子を養育してくれた。それから独立して、百々子はもう千代とは何の関わりもないようなつもりでいたのに、千代が入院し、千代の持つアパートの世話(家賃を集めるなど)を、百々子がするようになる。百々子は小説家であるが、入院中の千代を見舞い、アパートの掃除をしてくると、もうそれでその日は原稿が書けなくなったりする。
「孤独を描くのがうまい、というのが、小説を書き始めてからの二十年間に百々子のえた唯一の評価であった。しかし孤独な女主人公の登場する小説というのは、読者には重苦しいものである。」
というあたり、まさに増田みず子自身の思いを描いているのではないか、という気がする。
 しかし、私小説的に百々子の思いばかりを描いているのかというと、そうではない。百々子の日記の形をとった部分、もっと小説的に百々子、千代が描かれる場面、さらに「裏日記」も登場したりする。
 百々子は千代に対して意地悪なわけではないが、これまでお互いどうぞ勝手に生きましょう、というふうに生きてきたので、べたべたとした親しみはない。自分で千代を引き取る想像もしてみるが、あとでその想像の中の千代は食べ物にまったく文句を言わないような、自分に都合のいい人につくりあげていたことに気づく。実際には濃い味の好きな千代は、百々子の作ったものには文句を言いそうである。
 ふつうの会話をしてみたくて、百々子が「がんばって」と言うと、千代に「何をがんばるの」と返される場面など、百々子本人にはつらいのかもしれないが、思わずふっと笑いたくなるような場面も出てくる。
 後半になって、百々子の父の死んだ夜の回想も挿入される。妙にカンの働く千代、病院内で迷ったこと、その時の千代の言葉遣い。それらは百々子がこの夜のことは覚えておこう、と意識したために詳細である。もちろん、後から百々子の都合のいいように変えられた記憶である可能性もあるけれど。
 千代は、百々子は自分の本当の母親に会いに行ったほうがいいのではないかと言うが、百々子は結局それを実行しない。病室内で転んでさらに悪化した千代は、口もきけなくなる。そんな千代の留守宅にいると妙に親しげなおばさんが訪れたり、アパート管理もたいへんだと百々子は実感したりもする。
 全体を通して、千代と百々子の関係がだんだんわかってくるところが面白い。最後の場面で特に何かが劇的に変化するわけではない(千代もまだ生きている)。中学生で父に死なれた百々子は千代がいないと困ったし、今の千代は百々子がいないと困るだろう。都合で結びついてきたわけだが、人と人との関係はそういうものでもあると思うし、その当たり前な描き方がいいと思う。


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