2015年11月21日

『リライフ』

 以下の文章では、映画『リライフ』の内容に触れています。ご了承ください。


 ヒュー・グラント、ひさびさの主演作。
 脚本・監督のマーク・ローレンスはヒューと組むのは4度目。最初の『トゥー・ウィークス・ノーティス』はそうでもなかったが、その後は何らかの再挑戦、やり直しを描いていたとも言える。
『ラブソングができるまで』は落ち目の歌手の再挑戦。『噂のモーガン夫妻』は、夫婦としての再出発。そしてこの『リライフ』は、ハリウッドではなかなか企画を通せなくなった脚本家が、遠く離れた大学に教えに行く。
 プロの脚本家が指導してくれる、というので70名の希望があるが、10名にしぼる。選ぶ基準は女子は美人、男子はそうでないやつ。とんでもないが、無理やり入って来たシングルマザーの熱心さと適切な質問に助けられ、教えることに面白さを感じ始める……
 それなりのキャリアのある人が、自分より若い世代のために何ができるか、また自分は自分のためにもう少し何かしてもいいのでは?と言いたげな映画。
 
 ヒューならではのネタもある。アカデミー賞を受賞したこともある脚本家という設定なのだが、その受賞スピーチとして流れるのは、ヒュー本人が『フォー・ウェディング』でゴールデングローブ賞(もちろん、脚本ではなく、主演男優賞)を受賞した時の名スピーチ。大学の最初の懇親会でセクハラ発言をしてしまうが、ヒュー自身、美人記者に向かって「記者がみんな君みたいだったらいいのになぁ」と少々問題アリな発言をしたこともある。J・オースティン研究家の女性教授と対立するが、ヒューがオースティン原作の『いつか晴れた日に』に出ているのは周知の事実。という具合。

 セリフは膨大。「一番バカな発言は、努力すれば何でもできるってことだ」と言っていたシニカルな男が、努力してみるのもいいかも、と思い始める……

 しわが固定し、髪もグレイがかって、背中に肉がついてきたヒューだけど、いたずらっぽいブルーの瞳と、完璧なセリフ回しと間の取り方は健在。ヒューの主演映画のほとんどがそうであるように、あと味のいい映画。  

Posted by mc1479 at 15:42Comments(0)TrackBack(0)

2015年11月18日

『あおい』と『ゴーグル男の怪』

 以下の文章では、小説『あおい』(西加奈子)『ゴーグル男の怪』(島田荘司)の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 
『あおい』 27歳・スナック勤務の「あたし」=さっちゃん。3歳年下の学生・カザマ君と同棲中。小さな映画配給会社で広報をしていた「あたし」より2歳年上の雪ちゃんの好きな人だったカザマ君と、雪ちゃんと一緒に会った時、「あたし」がカザマ君を奪う形になったのだ。「あたし」はそれで会社を辞め、スナックは週4日勤務のバイト。スナックのママが来るのを楽しみにしているお客さんである森さんが、「あたし」目当てに来るようになり、ここも辞める。
 「あたし」は「自分が悪い、雪ちゃんやママは悪くない」と思っていても、行動が止められない。ママに対しては言いたい放題言ってしまう。本屋のバイトでマナティのように太ったみいちゃんという子が、「あたし」の気のおけない友だ。みいちゃんはいつか小説を書くために辞書を読んでいる。
 「あたし」はレイプされた経験があり、みいちゃんは小さい頃、誘拐されそうになったことがある。
 「あたし」は妊娠したことを知ると、長野のペンションで働こうとするが逃げ出し、夜中に「もう歩けない」と思った所で青い花に気づき、その名が「タチアオイ」だと知る。そこで頑張ってまた歩く。
 「あたし」はおそらく妊娠を受け入れて子を産む決心をし、カザマ君は「あたし」のいない間に初めて必死の行動を見せ、みいちゃんはとうとう物語を書き始める。
 素直に受け取れば、前向きなラスト、なのだろう。でも「いいのか?」という気もする。もちろん、レイプ直後は触れられただけで吐き気がした「あたし」がちゃんとカザマ君との関係を結べたのは、喜ぶべきことだろう。しかし、学生のカザマ君とバイトも辞めた「あたし」の間に生まれてくる子はどうなる?と心配してしまう。

 比較、というのはヘンかもしれないが『ゴーグル男の怪』を見てみる。ここに出てくる「ぼく」は中学生の時、男にレイプされた。近くのスーパーの経営者で、しかもその男は「ぼく」の母とも関係を持っていた。その体験を恥と思っているので誰にも言えず、ガールフレンドもできず、近所の会社に就職したので、犯人は今もすぐ近くにいる。
 犯人を殺すことでしか自分は救われない、と思いつめた「ぼく」は決意するが、実行するよりひと足先に、他の人が殺してしまった(恨まれる男だったのだ)。同じような格好をした二人が出会う場面はとても映像的だ。そこで「ぼく」は相手に「ありがとう」と言う。たぶん、これで「ぼく」は救われる。
 殺したのは、若い女だ。幼い時から母に万引きを教えられて育ったような女。盗みをしたスーパーで、経営者の男は許してやるが、自分の女になれ、と言ったわけだ。手当をあげるから、と。経営が苦しくなると手当も払わなくなり、しかし脅してくる男を、女は殺そうと思った。もう少しからむ事情もあるのだが、この殺人を犯してしまった女には「救い」はないのかもしれない。
 しかし、そっくりの格好をした男と出会って向き合った後、女は涙を流す。
「私は今まで、ありがとうと、誰かに言われたことがなかったのです」
 それを「救い」とは言えないのかもしれない。

 しかし、妊娠・あるいは出産を「救い」と見なすよりは、私には、こういう形のほうが、ひとつのあり方として、受け入れやすい気がするのだ。
   

Posted by mc1479 at 13:42Comments(0)TrackBack(0)

2015年11月17日

『きっと、うまくいく』

 以下の文章では、映画『きっと、うまくいく』の内容に触れています。ご了承ください。


 CSで放映されたのを見た。
 工科大学を優秀な成績で卒業したのに音信不通になっているランチョーの所へ、寮で同室だった二人、ファルハーンとラージューが向かう。二人は、当時ランチョーをライバル視していたチャトルに「卒業して10年経ったら、どちらが成功しているか確かめる約束をしたから」と呼び出されたのだ。
 三人の騒がしいドライブの合間に、大学時代の回想がはさまる。インド映画だから、歌と踊りのシーンもある。ランチョーは成績優秀だったが、順位を張り出す大学のやり方や、ちょっと成績のいい子がいると「医者かエンジニアに」と望む風潮を嫌っていた。ランチョーの影響で、二人は納得できる自分の道を進むことになったのだが……
 もちろん映画だから誇張はあるのだろうが、インドの大学内ってこんなに競争が激しいのだろうか、とか学生が自殺しても学長の権威は少しも揺るがないのはある意味スゴイ、と思いながら見た。
 ファルハーンとラージューの家庭の事情、ランチョーの恋(なんと、学長の娘ピアに恋をする)、ピアの姉モナの出産……と、これでもかと見せ場を詰め込み、伏線はきちんと回収し、2時間50分。お腹いっぱい、という感じの映画。
 ときどき印象に残るセリフ(歌詞)がある。
「鶏は卵の運命を知らない」
「親友が落第だと心が痛む。一番だともっと痛む」  

Posted by mc1479 at 14:17Comments(0)TrackBack(0)
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