2013年10月04日

『歩いても歩いても』(映画)感想

 以下の文章では『歩いても歩いても』の内容や、他の是枝監督作品について触れています。ご了承ください。

 子連れの女性と結婚した良多(阿部寛)が、お盆に実家に帰ってくる。町医者をしていたがもう引退した父と、ずっと主婦だった母。「一緒に暮らそうか?」と何度も言っているらしい姉夫婦(子ども二人)も来ている。登場人物のやり取りから、この姉弟の上にもうひとりジュンペイ(漢字がわからないのでこう表記する)という兄がいたこと、その兄はもう何年も前に海で人を助けて亡くなったことがわかってくる。
  
 是枝裕和監督の作品で映画館で見たのは『誰も知らない』と『空気人形』。そして今回、ケーブルTVでこれを見ただけの私が言うのも何だが、是枝監督の作品は日常生活が淡々と描かれる中で不意に残酷なことが現れるのがすごいと思う。「すごい」という表現があまりにも雑なら、その残酷さの現れ方がリアルだ、と言えばよいのだろうか。『誰も知らない』の、ひとりの子の死。『空気人形』はそもそも話が特殊、と言われるかもしれないが、クライマックスというか、ラストに至るところ。
 そしてこの『歩いても歩いても』にはこんな場面がある。死んだ兄に救われた人は今はもう25歳になっていて、お盆には毎年来ているらしいのだが、その人が帰る時に母が言う。「来年もまた顔を見せて下さいね。約束よ」
 あとで母と二人になった時、良多は「もう来てもらわなくていいんじゃないか。かわいそうじゃないの。俺たちに会うのつらそうだし」と言う。すると母は「だから呼んでるんじゃないの」と答える。「あの子にだって、年に一度くらい、つらい思いをしてもらってもバチは当たらないでしょう」
 これが一番残酷な場面かな、と思って見ていると、そのあとさらに、部屋に迷い込んだ蝶を見て、母は「ジュンペイかもしれない」「やっぱりジュンペイよ」と追う。
 この母を演じているのが樹木希林。巧いのはよくわかるのだが、残酷な見せ場を彼女が独占しているようなところに、ちょっと不満がある。父役の原田芳雄にだって、もう少し見せ場があってもいいのに、と思ってしまうのだ。
 ここに描かれた「母とは、こういう存在だ」という母の姿に納得できる人には愛せる映画になると思う。


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