2015年11月18日

『あおい』と『ゴーグル男の怪』

 以下の文章では、小説『あおい』(西加奈子)『ゴーグル男の怪』(島田荘司)の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 
『あおい』 27歳・スナック勤務の「あたし」=さっちゃん。3歳年下の学生・カザマ君と同棲中。小さな映画配給会社で広報をしていた「あたし」より2歳年上の雪ちゃんの好きな人だったカザマ君と、雪ちゃんと一緒に会った時、「あたし」がカザマ君を奪う形になったのだ。「あたし」はそれで会社を辞め、スナックは週4日勤務のバイト。スナックのママが来るのを楽しみにしているお客さんである森さんが、「あたし」目当てに来るようになり、ここも辞める。
 「あたし」は「自分が悪い、雪ちゃんやママは悪くない」と思っていても、行動が止められない。ママに対しては言いたい放題言ってしまう。本屋のバイトでマナティのように太ったみいちゃんという子が、「あたし」の気のおけない友だ。みいちゃんはいつか小説を書くために辞書を読んでいる。
 「あたし」はレイプされた経験があり、みいちゃんは小さい頃、誘拐されそうになったことがある。
 「あたし」は妊娠したことを知ると、長野のペンションで働こうとするが逃げ出し、夜中に「もう歩けない」と思った所で青い花に気づき、その名が「タチアオイ」だと知る。そこで頑張ってまた歩く。
 「あたし」はおそらく妊娠を受け入れて子を産む決心をし、カザマ君は「あたし」のいない間に初めて必死の行動を見せ、みいちゃんはとうとう物語を書き始める。
 素直に受け取れば、前向きなラスト、なのだろう。でも「いいのか?」という気もする。もちろん、レイプ直後は触れられただけで吐き気がした「あたし」がちゃんとカザマ君との関係を結べたのは、喜ぶべきことだろう。しかし、学生のカザマ君とバイトも辞めた「あたし」の間に生まれてくる子はどうなる?と心配してしまう。

 比較、というのはヘンかもしれないが『ゴーグル男の怪』を見てみる。ここに出てくる「ぼく」は中学生の時、男にレイプされた。近くのスーパーの経営者で、しかもその男は「ぼく」の母とも関係を持っていた。その体験を恥と思っているので誰にも言えず、ガールフレンドもできず、近所の会社に就職したので、犯人は今もすぐ近くにいる。
 犯人を殺すことでしか自分は救われない、と思いつめた「ぼく」は決意するが、実行するよりひと足先に、他の人が殺してしまった(恨まれる男だったのだ)。同じような格好をした二人が出会う場面はとても映像的だ。そこで「ぼく」は相手に「ありがとう」と言う。たぶん、これで「ぼく」は救われる。
 殺したのは、若い女だ。幼い時から母に万引きを教えられて育ったような女。盗みをしたスーパーで、経営者の男は許してやるが、自分の女になれ、と言ったわけだ。手当をあげるから、と。経営が苦しくなると手当も払わなくなり、しかし脅してくる男を、女は殺そうと思った。もう少しからむ事情もあるのだが、この殺人を犯してしまった女には「救い」はないのかもしれない。
 しかし、そっくりの格好をした男と出会って向き合った後、女は涙を流す。
「私は今まで、ありがとうと、誰かに言われたことがなかったのです」
 それを「救い」とは言えないのかもしれない。

 しかし、妊娠・あるいは出産を「救い」と見なすよりは、私には、こういう形のほうが、ひとつのあり方として、受け入れやすい気がするのだ。
   

Posted by mc1479 at 13:42Comments(0)TrackBack(0)
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