2014年01月06日

『桜ほうさら』(ドラマ)感想

(ドラマ)と入れたのは、宮部みゆきさんの原作の感想ではないということです。ドラマの内容に触れ、セリフを引用しておりますので、ご了承ください。

 600ページもある原作をどうやって88分のドラマにするんだ? と思ったが、主人公・笙之介が自分の父を陥れた者を探すという大筋の謎解きを中心にしたものだった。だから、原作にあったゆっくりと進む笙之介の江戸での暮らしぶりや、一見関わりなさそうに見えたことが関わってくる面白さを愛した人には、物足りないことだろう。しかし、ひとつのドラマとしては上手くまとまっていたと思う。
 謎解きとからめて、長屋暮らしの人々も、美しい風景も点描される。精度の高いカメラで撮影したそうなので、「いい画を作ろう」というスタッフの熱気が伝わってくる。
 もちろん時間が短い分、単純化された人物もあって、書店の主人が妻を亡くしたいきさつや、笙之介の母が三度目の結婚で格下の家に嫁いだことを悔しく思っていたことなどは描かれていない。
 強烈な悪の匂いも薄められた。原作では、改心などしないように見える笙之介の兄・勝之介も、ここでは「生き方を変えるかもしれない」と思わせるし、金さえ貰えば悪事にも関わる代書屋・押込御免郎も気のいい奴にも見える。原作では490ページになってやっと登場する御免郎は、ドラマでは早くから笙之介にまとわりつき、笙之介との間に仲間意識のようなものさえ漂わせるのだ。そして、兄や御免郎をそのように動かすのは笙之介の力であるように描かれてもいる。

 結果から言えば、藩の跡目争いのためにニセの遺言状を作ろうとする者が、ニセ文書作りの腕試しとしてやってみたことに、笙之介の父は巻き込まれた、捨て駒だったわけだ。そして、兄・勝之介も押込御免郎もいざとなれば切り捨てられる存在である。
 そういう仕組みに対して、原作の笙之介は諦めに似た気持ちを抱いている。兄に殺されかけた後、実際に死んだことにして別の人生を歩むことを受け入れる。
 ドラマの笙之介は少し違う。
 代書屋でありニセ文書作りの生き証人である御免郎が始末されてしまうことを原作の笙之介は「落としどころ」として受け入れるが、ドラマの笙之介は抵抗する。
「人は、決して虫けらのように殺されるべきではないんだ!」
 原作にはない、ドラマの笙之介の叫び。
 現にある体制を保つことを第一に考えるなら、原作のような始末のつけ方を受け入れる方がリアルだろう。しかし、ドラマの作り手たちはそうはしなかった。
 御免郎は、藩の家老の悪事をお上に知られぬように片づけられた。つまり秘密を守るために始末されたのだ。そのことに抵抗する笙之介。
 秘密を守るために、とんでもないことが実行される――と言うと、何かを思い浮かべないだろうか?

 もちろん、このドラマの脚本が書かれた時には、まだ特定秘密保護法は成立していなかったかもしれない。それに、法律ではいくらなんでも秘密を守るために殺されることはないのだから、そんなものを思い浮かべるのはこじつけだと言われるかもしれない。
 しかし、原作にないセリフには脚本家の意図が込められているはずだし、見る側にもそれぞれの受け取り方があっていいはずだ。
 だから私は、これを天保の昔のリアルより、未来へのメッセージとして受け取りたい。このセリフを言う時の笙之介がもっとも力強かったことを心に留めておきたい。
   

Posted by mc1479 at 13:26Comments(0)TrackBack(0)
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