2013年07月12日

『遠い夏のゴッホ』

以下の文章では『遠い夏のゴッホ』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 NHK(BS)の「プレミアムシアター」枠で放映される演劇ってどういう基準で選ばれるのだろうか。6月に放映された『マクベス』や5月の『シンベリン』はどちらもシェイクスピア作品であり、それぞれ野村萬斎演出・主演、蜷川幸雄演出という、いわば有名人演出のものだった。今回の『遠い夏のゴッホ』作・演出の西田シャトナーは演劇界では新作が出ると必ず注目される有名人なのか、そのへんが私にはわからない。が、これはやはり西田シャトナーより、松山ケンイチ初舞台・初主演で注目される話題作だったと思う。いろいろと言われつつ、1年間『平清盛』を演じ続けた松山クンにNHKが感謝と敬意を込めて放映したわけか?

 
 ゴッホは蝉の幼虫。幼なじみはベアトリーチェ。この芝居ではゴッホ、ベアトリーチェ、アムンゼンなど意味ありげな名前が虫たちに付けられているが、どうしてそのような名前なのかはいっさい説明されない。そんな名前には何の意味もないんだよ、という意味で付けられた名前なのかも知れないが…
 とにかくゴッホとベアトリーチェの2人(2匹)は来年一緒に羽化して本当の恋人どうしになろうね、と言っていたのだが、年を数え間違えていたゴッホは先輩(と思っていた)蝉の羽化を見学しているうちに自分の身体に変調をきたして羽化してしまう。ベアトリーチェが成虫になってくるのを待つため、次の夏まで生き延びようとする…
 この辺までは、話の紹介で読んだことがある。面白い発想だと思った。地上に出れば一週間くらいで死んでしまう蝉が、どうやって生き延びるのか。
 でも、思ったよりもゴッホ=松山クンだけの話ではないのだった。冒頭から蟻たちが出てくるし、ゴッホがアドバイスを求める相手として(長生きしている)ゴイシクワガタや蛙が登場する。それらの虫たちのつながり(それは時には食べる-食べられる、という関係であるわけだが)を描くのもこの芝居の目的らしい。しかし、そういった関係を見せることによって感慨を与えることには、あまり成功していないように見える。確かに生き死にの連鎖はその中にあるものにとって厳しいものだろうが、その厳しさを描けば描くほど、なぜゴッホだけがそこから逃れ得るのか、と疑問を感じてしまう。
 それは愛のためだから、という答は出さない。そういう答でも良かったのに。そのほうが単純に感動できるかもしれない。
 途中で蛙がゴッホに向かって「食われてみろ」と言う場面があるので「そうか、蛙にわざと食われて翌年になったら蛙の腹を食い破って出てくるのか」と思ったら、そういうシュールな展開ではなかった。この芝居、虫たちの話については真面目なのだ。ゴッホは二本足の怪物(人間)たちの住む所へ行って、温かい管の下で冬を越す。そして遂に羽化したベアトリーチェと会うのだが…何か物足りない。ゴッホは飛ぶことも歌うことも控えて生き延びてきたのだから、最後に松山クンが実際に歌ってくれたらいいのに。
 松山クンのファンがこれを見たら、どうなんだろう。虫を演じる彼を見るのは面白いかもしれない。アクション・シーンもあり、パントマイムも見せるのだが、それで満足できるのだろうか?
 土を食べるミミズが、ゴッホの伝言をまったく違うふうにしてベアトリーチェに伝えるところが一番面白かった。ゴッホ、ベアトリーチェ、ホセ(ミミズ)の話をもっと見たいと思った。
 生き物の話を真面目に描いているのかもしれないが、そのため話の展開はこちらの想像を超えるものではなかった。そこが私には物足りない。  

Posted by mc1479 at 08:46Comments(0)TrackBack(0)
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