2014年04月22日

『アデル、ブルーは熱い色』

 以下の文章では、映画『アデル、ブルーは熱い色』の内容に触れています。ご了承ください。

 女性どうしのラブシーンが話題になった映画。それ以外のシーンにはセリフがあふれているので、セリフのないラブシーンが余計に目立って見える。
 アデルとエマという女性が登場するが、主人公はあくまでアデル。彼女の高校時代から10年近くにわたる物語。
 カメラを長い時間回しっぱなしにして撮影したこともあったそうで、そういうやり方がいつも良いというわけではないだろうけれど、本当にアデルという女性の人生のある時期を一緒にたどっているような気がすることも確か。
 男の子とデートしても「これが恋なの?」と思っていたアデルは、画学生のエマに惹かれる。エマは家族にも同性愛者であることを打ち明けており、画家を目指す。アデルは幼稚園の先生になり、働き始めるとエマと同居するが、自分の家族には隠している。
 エマのパーティに集まる人たちは皆、芸術に対して意見を持っていて、アデルは料理作りの腕を褒められるしかない。彼女がひとりで料理も皿洗いもしているのを見て「この二人、別れるな」と思った。
 実際はアデルが同僚の男と浮気をして(その場面は描かれないが)破局が訪れる。
 とにかく言葉が多い。
「悲劇は必然であり、逃れることができない」と『アンティゴネ』を分析する教員。
 アデルという名はギリシャ語の「正義」に因っているのだと言うアデル。
 サルトルによって(超越的な原理によらず自己決定できる)自分が同性愛者であることを認めることができた、と話すエマ。
 アデルが子供たちと学んでいた詩も印象的。
 ゾウの鼻はなぜ長い ピスタチオを拾うため かがまなくていい
 キリンの首はなぜ長い 星をとるため 飛ばなくていい
 詩人はなぜいろいろ書く 言葉で表すため わからなくていい
 
 この映画は「恋愛」とういうものを、わからなくてもいいが、いろいろと描いて見せた、ということなのだろうか。


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