2013年01月11日

白石一文『翼』が心に残った理由

 この文章では、白石一文の『翼』『心に龍をちりばめて』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 白石一文の『翼』を読んで「好きだな」と思い、他の小説を2冊読んでみたが、『翼』ほどは好きになれなかった。『この世の全部を敵に回して』という本の方は、手記という形をとっていて物語性が希薄だから、という理由が考えられる。『心に龍をちりばめて』の方は物語としては十分面白いのに、やっぱり『翼』の方が私は好きだな、と思ってしまった。なぜだろう。

『心に龍をちりばめて』の女主人公・美帆は『翼』の女主人公・里江子に似たところもあるのだ。まず、仕事を持ってそれをきちんとこなしている女性だということ。30代で独身だということ。
 にもかかわらず、私は里江子に感じたような共感は、美帆には持てない。もちろんそれは、美帆が歩けば人から必ず注目されるような美人だから、ということもあるかもしれない。しかし、生と死に関する考え方でいえば、両作品にはかなり共通点もあるのに。
 
 たとえば『心に龍をちりばめて』には「誰かのために生きる」、あるいは逆に「誰かのために死ぬ」という考えが出てくる。「誰かのために」という言い方にはひっかかるかもしれないが、もちろん作品の中ではそれらはもっと上手に表現されている。そのように言い切るために相応な条件と覚悟も描かれている。
『翼』に示された「自分のことを最も深く理解してくれている人間の死は、自分の死と限りなく近いかもしれない」という考え方は、もう少し受け入れやすいものだろう。しかしこの両者に共通するものがあるのはうかがえる。人の生死は、その人ひとりだけのものではないということ。共通するものがあるにもかかわらず、やはり『翼』の方が受け入れやすい。

 2つの物語は、収束点は大いに異なっている。単純に言えば『心に龍をちりばめて』は生に向かう結末を用意していて、『翼』は、死に向かう。たぶんそこが、私の『翼』に惹かれる理由なのだ。
 両作品とも 孤独な人々が登場する。女主人公も、その相手役と言っていい男も、ともに孤独を抱えている。しかし『翼』の女は、孤独を嫌わない。孤独は自分にとって当然だと受け入れている。いや、むしろ自分で自分をますます孤独にしていっている面がある。そういう、人との関わりをどちらかというと断ち切っていく女、というのが興味深かった。孤独な女が、その孤独さゆえに、自分を「運命の人」と感じた男を拒む。もちろん表面上の理由は、彼が親友の恋人だったから「そんなことはできない」と断ったのだ。再会。再度の拒絶。結婚しても子供ができても幸せだと思ったことがないという男。男のそれまでの人生にも「死」は色濃く、男もまた孤独で、いわゆる頭のいい人だが、自分を「とても変わった人間」だと認識している。

 結末としては、ごく単純に考えれば『心に龍をちりばめて』のように「生きる」方向に向かう方が心地よいし、安心できるものだろう。『翼』の結末は不穏だ。けれども一人の孤独が別の人を死に追いやるかもしれない、という流れを二人の過去、どこか「変わった」人であること、常識的な判断や励ましではなんともならないことがあること、などを無理なく収束させていくその筋立てに惹かれたのだと思う。とにかく「生きる」方向へ向かわなくてはならない、という一種の強迫観念のような結末ではないところに、感心もし、納得もさせられたのだ。


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