2012年12月28日

『真夏のオリオン』は、どこまで『眼下の敵』に似ているか

『眼下の敵』は録画してあったのに、なかなか見なかった。そもそも私は戦争映画が苦手なのだ。ではなぜ録画したかというと、映画『真夏のオリオン』の原点は『眼下の敵』である、と『真夏のオリオン』の作り手自身が言っているからだ。『真夏のオリオン』を見た時に素直に「あ、面白い」と思った私としては、実際にどれくらい似ているのか確かめて見たかったのだ。というわけで、やっと見たので、それについて書く。
 まず『眼下の敵』は一般的に抱く戦争映画のイメージ―大量破壊・大量殺戮―とは違った。それどころか南大西洋に浮かぶアメリカの駆逐艦上の人物はのんびりとトランプをしながら、新しい艦長は民間人出身で出港以来一歩も艦長室を出ない等と話している。第2次世界大戦中のことで、艦長は元は貨物船の三等航海士だったという設定。
 ドイツ側潜水艦の艦長はもっと厭戦的で「この戦争にはいいところがない。前の大戦ではUボートに誇りが持てた。今は戦争から人間味が失せた」と言う。息子二人も兵士となってそれぞれ死んでしまった。1957年という制作年がこんなセリフを語らせたのか、興味のあるところではある。
 物語の中心は、この2艇の戦いであり、お互いに見えない相手を頭のいい人間だと察しつつ闘う。ドイツ側艦長からすれば、それは「人間味のある闘い」だったかもしれない。

〈明らかに似ている点〉
 両軍の艦長が相手の裏をかいて戦うという設定。もちろん『眼下の敵』ではアメリカの駆逐艦VSドイツの潜水艦、『真夏のオリオン』では日本の潜水艦VSアメリカの駆逐艦だが。
 作戦としてもっとも似ているのは、潜水艦側が相手に察知されないために海底でじっとしている場面だろう。また『真夏のオリオン』では明らかに計画的、 『眼下の敵』では微妙だが、潜水艦側が音楽を流し、相手側に位置を知られる(知らせる?)場面。
 そして、戦いながらも両方の艦長が相手を尊敬しているという設定。これが基礎であり、もっとも大きな共通点かもしれない。

〈似ている画〉
 潜水艦の真上を駆逐艦が通り過ぎていく場面。
 爆雷で損傷を受けた潜水艦内の様子。
 終盤、潜水艦が海上に姿を現す場面。
 これらは確かに似ているが、パクリというよりは、オマージュなのではないだろうか。

〈似て非なる点〉
『眼下の敵』では駆逐艦上で負傷者が出た時、艦長は「急がせた私の責任だ」と言い、負傷者は「自分が焦って爆雷架につかまったのが悪い」と言う。このやり取りは明らかに『真夏のオリオン』の潜水艦内で唯一の死者が出た時のやり取りを思い出させる。「私が手を滑らせたせいで」と言う部下に対して「誰のせいでもない」と言い切る艦長。とりあえず責任の所在をはっきりさせようとする『眼下の敵』と、責任そのものがなかったことにする『真夏のオリオン』。
 もうひとつ。勝手な行動に出ようとした部下を戒めるシーンが『眼下の敵』にある(ドイツ側艦長である)。艦長は迫力ある眼差しで部下に迫り、「死も任務の一部だが、我々は死なない。私を信じるか」と言って、うなずかせる。『真夏のオリオン』では、回天に乗って出撃したいと焦る部下に、艦長は同じ目の高さになって穏やかに語りかける。「俺たちは死ぬために戦っているんじゃない。生きるために戦っているんだ」
『眼下の敵』の二人の艦長は、実力を示すことによって部下を従わせるリーダーだが、『真夏のオリオン』の倉本艦長は、もちろん実力はあるのだが、それ以上に人の気持ちを察する能力や、「皆一緒」だという雰囲気を作り上げる包容力によって慕われているように見える(『真夏のオリオン』では、アメリカ側艦長についてはそこまで描かれてはいない)。
 知力に秀で、冷静な判断を下すことのできる艦長が描かれているのは確かだが、『眼下の敵』の二人の艦長にとっては、これはいわば人生の第2幕。一方、『真夏のオリオン』の軍人になるための教育を受けてきた若い艦長には、今のところこれが彼の人生だろう。
 先に「音楽で敵に位置を知らせる」と書いたが、『眼下の敵』はこの時の音楽もテーマ曲も勇壮なマーチ。『真夏のオリオン』の哀切なメロディとは違う。ドイツの潜水艦はレコード・プレイヤーも積み込んでいたのか、というのも違いとして面白かった(『真夏のオリオン』では少年兵の吹くハーモニカ)。全体的に『眼下の敵』の艦内のほうが、ゆとりがあるように見える。

〈まったく違う点〉
『眼下の敵』では海上で二つの艦は激突し、結果的にアメリカ側艦長は、ドイツ側艦長を救う。二人は実際に顔を合わせ、話す機会を得たわけだ。『真夏のオリオン』ではいよいよ、という時に終戦の知らせがもたらされ、二人の艦長は敬礼を交わしただけに終わる。そのために二人をつなぎ、冒頭の現代の場面から回想へと話を運ぶためにも、倉本艦長を愛した女性がお守りにと渡した「真夏のオリオン」の楽譜が登場したのだとも言える。
『真夏のオリオン』にはもうひとつの日本側潜水艦が登場するなどの違いもあるのだが、もっとも大きな違いは戦闘の合間にも、倉本艦長にとっての回想場面・日本でのシーンが挿入されていることだろう。
『眼下の敵』はまさに男ばかりの映画なのだが、『真夏のオリオン』の回想シーンに登場する女性や子供は、倉本艦長が「必ず生きて帰る」と誓う原動力だろう。それゆえ回想シーンは美しい。そこへ帰っていく倉本、というラストシーンの余韻も素晴らしい。そして『眼下の敵』にはまったくなかったそういう場面が、まさに私の好きな場面なのだった。だから、たとえ「戦いの場面がこんなに似ているのはパクリだ」と言われたとしても、私はまさに『眼下の敵』とは異なっている場面のために『真夏のオリオン』が好きなのだから「パクリ」という批判はいただけない。
 


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