2018年01月31日

映画「悪と仮面のルール」感想

 以下の文章では、「悪と仮面のルール」およびその他の映画の内容に触れています。ご了承ください。


 松橋真三プロデューサー(以下、松橋P)制作の、玉木宏主演映画を見てきている者にとっては「こう来ましたか」という映画。
 暗い画面のまま、玉木の声だけが響くファーストシーン。明らかに『ただ、君を愛してる』を思い起こさせる。松橋Pとのコラボは『恋愛小説』から始まっただけに、ラブストーリーが印象的だ。おそらくこれと『ただ、君を愛してる』あたりを二人のコラボの代表作にあげる人が多いのではないだろうか? 一見、恋愛とは無関係な『MW』も、監督に言わせれば「結城と賀来とMWの三角関係」なのだ。
 そして『恋愛小説』では美しく控えめながらあったベッドシーンは『ただ、君を愛してる』では一度だけのキスに集約され、『すべては君に逢えたから』では、キスシーンすらない。
 年を経るにつれて、どんどんプラトニックになっている感すらある。しかし、『すべては君に逢えたから』を見た時には新機軸かと思った。それまでは女性が亡くなるパターンが多かったのに、初めてハッピーエンディングと呼べるラストを迎えたから。さて、この後に松橋Pのつくる玉木映画はどうなるのかと思っていたら、今回の『悪と仮面のルール』である。ベッドシーンはあるが、他の女性と。恋い焦がれる相手には手も触れない、いや、かつてこの二人は抱き合い、キスしたこともあったのだが、幸福はすでに過去の記憶にしかない。
(希望は過去にしかないbyバルザック)
 今回は二人とも生きながら、でもおそらくこのまま二度と会うことはないだろうというラスト。もちろん、それは原作をなぞっているのだが、原作にはもう一人女性が出てきて「二番目がいいってこともあるから」と主人公に同行するのだ。でも、この映画にはそれがない。
 そう来たか。あくまで思いを秘めながら、ひとり旅立つ。不幸とは言えないけれど、泣けるラスト。涙というのも松橋P玉木映画にはわりとあって『恋愛小説』でも『ただ、君を愛してる』でも、クライマックスで見事に美しく、彼が泣く。『すべては君に逢えたから』でも泣く。今回は抑えがたく流れる涙を見せてくれる。
 というより、今回はもうすべて玉木を見せる映画だと言ってしまいたい。基本的に「玉木と誰か」が話している。それぞれの場面で人間関係がわかり、過去も少しずつ見えてくる。そして、愛する女性と二人だけのシーンがクライマックス。「ごく恵まれた少数の者だけが持つことのできる、幸福という名の閉鎖」としての空間の中で、自らの正体を明かさないまま、愛の告白をする。相手の女性も今話しているのが誰かを察しながら、問いただすことはしない。閉じた空間を出ていく女性と、閉じた空間である車を走らせながら、生きていく男性。映画の中に「僕の中の最高の価値は、善でもなく世界でもなく神ですらなく、香織だった」というセリフがあるが、それを借りるなら「最高の価値は玉木」という映画だ。
 見る者は皆、彼の表情、手のしぐさ、息遣いの細やかな変化にそって物語を追う。それが十分に尽くされたのちにラストシーンが来る。
 そして、本編とその後に流れる主題歌は(和歌でいう)長歌と反歌の関係だと思った。


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