2013年05月23日

マダムと女房

 NHKのBSで放映されたものを見た。80年以上前の映画。タイトルを見て「あ、横書きでも右から書くんだ」と思うが慣れないので読みにくい。解説では日本初のトーキー映画ということが強調されていた。画面外から聞こえるチンドン屋の音、映像の中のめざまし時計や足踏みミシン。そういった日常的な音を聞かせる一方で、中盤では楽器演奏や歌もちゃんと入っている。「トーキー」を十分意識しているといえるだろう。
「トーキー映画」としての興味はそれくらいにして、タイトルにこだわってみたい。「と」という助詞でつながれているからには、「マダム」と「女房」は別のものなのだろう。主人公の男は脚本家。引っ越してきたら隣の家の音楽がうるさい。「そのジャズ演奏を止めてくれないか」と言いに行ったはずが歓待され、お酒で気持ちよくなり、戻ってくると執筆がはかどる。

 主人公の男には名前があるが、キャスト表では女たちは「その女房」「隣のマダム」で、名前を持たない(ちなみに男の娘には「テル子」と名前がついている)。
 もっと興味深いのは「女房」と「マダム」の違いだろう。
 女房は、夫が隣から戻った時にヤキモチを焼く。
「あのモダンガールと仲良く遊んでもらったの?」
「馬鹿、隣のマダムじゃないか」
「近頃のマダムなんて危ないわ」
「マダムで悪けりゃ隣の女房だ。洋服を着ていただけだよ」
「それに近頃のエロでしょ。エロ100パーセントでしょ」
 男は「洋服を着ていただけ」と言うが、実はこの違いが大きいらしい。日本髪で着物姿の女房は夫や子供の面倒を見、かわいらしくヤキモチを焼き、「あなた、私にも洋服買ってちょうだい」と言うが、しばらくたってからの一家で散歩しているラストシーンでも、女房は着物を着ている。
 マダムと違って女房は決して洋服を着ないのだ。一方、酒を飲んで歌うマダムは、男を楽しませ、仕事をはかどらせてくれる。

 映画の中ではそこまではっきりとは言っていないが、男にとってこういう2種類の女がいてこそ、仕事もでき、生活もしていけるのだと言いたいのなら、その主張は以降何十年にもわたって、男の勝手な言い訳として続いてきたような気がする。  

Posted by mc1479 at 17:41Comments(0)TrackBack(0)
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