2013年01月22日

白洲正子『金平糖の味』を読んで

 タイトルに惹かれて読んだエッセイ集だが、「ふうん」と思うこともいろいろあった。タイトルには関係のない部分で。
 チャップリンの『ライムライト』に関して「くだくだしいお説教」をしていると言い「終始一貫チャップリンは、このとっときの場所におさまり返って、いい気持ちにご託宣を並べるのである」と批判的に書いている筆者が、夫婦生活や着るもののことになると、若い人たちに説教するような調子になる。たとえば「幸福とは『タナからぼた餅』を待つことではなく自ら工夫して創るものです」というように。
 揚げ足を取るつもりはない。筆者のような、ある程度年齢のいった教養ある人に原稿の依頼が来るとしたら「若い人にメッセージを」というようなものだと思うからだ。
 
 言葉って変わるのだな、と感じたものもある。「美男論」の中で筆者は「英語でも、プリティとかビューティフルなどという形容詞は、男には用いません」と書いているのだが、映画『トーチソング・トリロジー』(1988)の中では、女性カメラマンが男性モデルに「ビューティフル!」と言いながら撮影していたし、1994年のニューズウィーク誌で某男優が「プリティ・フェイス」と書かれていた。
「美男論」は1959年のエッセイとのこと。「~用いません」と断言された「事実」も30年もたてば、コロリと変わるのだ。事実とはそういうものだと覚えておこう。  

Posted by mc1479 at 15:34Comments(0)TrackBack(0)
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