2014年05月03日

『すべては君に逢えたから』再び

『すべては君に逢えたから』DVD発売記念に再び感想を。
以下の文章では、映画『すべては君に逢えたから』の内容・結末に触れています。また、玉木宏出演作の内容にも触れています。ご了承ください。

 『すべては君に逢えたから』で私が少々苦手なのは、子供が関わる二つのエピソードが二つとも悲しいものであること。どちらかが明快なハッピーエンディングだったら、もっと好きになれたのに。
 もう一つは、ここに出てくる大人が、どちらも子供に謝らせることのできない大人であること。施設で働く職員・岸本は、原因が何であれ、ケンカはダメ、と教えたいのなら二人に互いにごめんなさいを言わせないと後が大変じゃないのかな、と心配する(まあストーリー上は後はうまくいくのだが)。運転士の話に出てくる子供には、母親は「お父さんに向かって、その口のきき方は何? 謝りなさい」と叱った以上、ふてくされた顔でも「ごめん」だけは言わせるべきだったのでは、と思う(そんなことを思うのは私だけか?)。
 もっとも「謝る」ことをキーにたどっていけば、それはそれなりに各エピソードでバリエーションがあって面白い。
『遠距離恋愛』の二人は、相手に対して悪いことを言った、と気づいてもすぐに素直に謝ることができない。
『イヴの恋人』の社長は、悪いことをしたと思えば次に会った時に相手に直接謝る。後に、劇団員の彼女のほうもまた、直接謝ることになるのだが。
『遅れてきたプレゼント』の70歳を越えた二人になると、もう謝るとかそういう行為は超越しているようで、事実を告げるだけで、すべてが通じる。
 そういう「謝ること」のバリエーションを描いた話として見るのも面白いと言えば言える。ただ、当初宣伝されたようにこれが本当に『ラブ・アクチュアリー』のような映画を目指したのなら、やはり『イヴの恋人』が一番それらしいエピソードだと思う。結ばれそうにない男女が結ばれる、とか、男のほうが「彼女を引き止めなきゃ、彼女に告げなきゃ」と走るというのはラブコメの典型にして、見る側を満足させてくれるものだが、リチャード・カーティス(『フォー・ウェディング』『ノッティングヒルの恋人』『ラブ・アクチュアリー』の脚本家)はは実にそれが巧かった。

 別の見方。『すべては君に逢えたから』を長らく組んできたプロデューサー・松橋真三と俳優・玉木宏の作品として見ると、新機軸だ。玉木が初めて肉体的に苦しまない役であること。松橋がアソシエイト・プロデューサーという名目で参加した『クリスマス・イブ』も入れるなら、殺される男(これが『クリスマス・イブ』での玉木の役)から始まって、自殺未遂、高熱に苦しむ、その他は書かないが『KIDS』や『MW』でもそういう場面があったのは思い出してもらえるだろう。『すべては君に逢えたから』の玉木は、初めてそういう苦しみに遭わない役だ。
 そして、もう一つ。初めて恋愛が成就しそうな役でもある。もちろん「片思いだって完成された恋」(『ただ、君を愛してる』)という考えもあるが、普通に考えれば、思いを寄せ合う二人がその思いを通じ合わせて結ばれる(片方が死んだりせずに)というのが「恋の成就」ではないだろうか。
 そういう意味で松橋プロデューサーの玉木出演作としては、たいへん珍しい結末なのだ。これを機にまた新しい傾向の作品を生み出していってくれるなら嬉しい。


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