2014年02月20日

『大統領の執事の涙』

 以下の文章では、映画『大統領の執事の涙』の内容に触れています。ご了承ください。

 1950年代から80年代まで、ホワイトハウスで大統領に仕えてきた黒人執事がいる。ということがまず私には初耳で、興味を持って見に行った。
 男の名はセシル・ゲインズ。綿花畑の小作農から逃げ出し、自分で売り込んで屋敷の下男からホテルの給仕になり、そのホテルの客にいわばスカウトされる形でホワイトハウスに勤めることになる。
 執事から見たホワイトハウスの暴露話を期待すると、当てがはずれる。執事はあくまでも空気のように存在するだけだから。ケネディ暗殺後の血の付いた服を着替えずにいるジャッキーも、「俺は辞めないからな」とその座にしがみつくニクソンも描かれるが、それを見たセシルの感想は語られない。
 じゃあ淡々として面白みに欠けるかというと、仕事熱心なセシルに対して息子二人のたどった対照的な道が、強い印象を与えている。
 長男は黒人差別に反対して反政府運動に。次男は「国のために戦う」とベトナム戦争に。次男は戦死し、長男とは反発し合ったり近づいたりを繰り返しながら、マンデラ解放を呼びかけるデモの場で一緒になる。
 長男から見れば生ぬるいかもしれないが、父の勤勉さと礼儀正しさがホワイトハウスでの黒人のイメージアップにつながったことは確かだろう。
 そして私がこの映画に好感を持つのも主人公のこうした性質によるところが大きい。映画の主人公は人並み外れた能力を持っているか機転が利くか運がいいか・・・というような人が多いと思うが、こういう真面目な人は見ていて感じがいい。
 原題はただの『執事』なのだが、「涙」まで付けたところに日本での売り方を見る思いがする。


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