2014年02月04日

ドラマ『足尾から来た女』

 以下の文章では『足尾から来た女』の内容に触れています。ご了承ください。

 某テレビ誌のコラムに「ドラマはどこまで『主張』できるか」というタイトルでNHKの昨年の大河ドラマ『八重の桜』がとり上げられていた。ドラマをそんなに見ない私だが(『八重の桜』は後半は見ていた)『桜ほうさら』と『足尾から来た女』を見ると、NHKのドラマは頑張って主張しているのかな、とは思う。
『足尾から来た女』の主人公サチは、足尾銅山から流れる鉱毒のために畑作ができなくなってきた谷中村の出身。父と兄はとうとう村を離れることになり、サチは「東京で、手伝いをしてくれる人を探している」という福田英子のもとで、田中正造の紹介により住み込みのお手伝いとして働くことになる。
 サチは架空の主人公だが、彼女の見聞きする世界に、英子の家に訪れる社会主義者たち、あるいは石川啄木などが登場する。
 サチは故郷の川原の何でもない石をお守りのように持っていて、自分が英子を裏切るような行動をしたときには捨てようかとも思う。
 東京へやってきた田中正造とサチが話す場面には、直接的と言っていいくらいの「主張」が感じられた。
 こんな都に来てみると、谷中村のことなんて誰も考えていない、と訴えるサチに対して正造は言う。
「百軒の家のために一軒の家を壊すのは野蛮国だ。(中略)百軒の家も一軒の家から始まった。その一軒を殺す都は、おのれの首を絞めるようなものだ。そんなことをする野蛮国は必ず滅びる」
 ドラマのクライマックスは、サチが故郷の石を原敬に投げつける場面だろう。その行為の善悪は別として、力を入れて作られたドラマだという印象を受けた。


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