2013年11月24日

『すべては君に逢えたから』ノベライズを読んでみた

 気になる映画だと、ノベライズも読む。ノベライズは原作と違って、脚本を基にして書かれているものだから、ふつうは映画と大きな違いはない。私自身、ノベライズの役割は映画の印象を定着させ、また思い起こさせてくれるもの、と考えているようなところがあるから、多くのことを望んでいるわけでもない。
 
 でもやはり、読んで「面白い」と感じるノベライズはある。どういう場合に面白さを感じるかというと、脚本と違う部分について、であることが多い。ノベライズはほぼ脚本を文章にしたようなものなのに、違うとは? たとえば脚本が途中で変更された場合、ノベライズは脚本の原型に基づいて書かれていると「あ、こういうエピソードがあったのに削られたのか」とわかる。どうして削られたのか推測するのも楽しい。
 もうひとつは、ノベライズした書き手の解釈が入っている場合。「それは違うだろ!」と突っ込みたくなる場合もあるが、「なるほどそういう捉え方もあるのか」と思うこともある。書き手の解釈がまったく入らないノベライズというのも、薄味なものだ。
『すべては君に逢えたから』のノベライズは、かなり薄味だった。
 丁寧に読んでいくと、指摘したくなる表現もある。「万感の思いを込めて」は「万感を込めて」でいいだろう。遠距離恋愛のエピソードで、ほとんど「携帯」と書かれているのに、2箇所だけ「携帯電話」になっているのは、なぜ?
 この書き手は「~ように(ような)」という言い回しを使うことが多いのだが、「勝ち誇ったように言った」や「甘酸っぱいような気持ち」はいいとして、「がっかりしたように」や「驚いたように」はその状況から見て、実際がっかりしたり、驚いたりしているのだろう。「ように」は必要か?と思ってしまう。
 決して勝手な解釈をしばいという点では誠実な書き手なのかもしれないが、もう少し登場人物の心理に踏み込んで独自の解釈をつけ加えてくれた方が面白いのになぁ、と思った。


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