2013年10月24日

映画『すべては君に逢えたから』を見てきました

 公開前の映画ゆえ、気をつけて書いてはおりますが、「何の先入観もなく映画を見たい」という方は、ご覧になる前にはお読みにならないでください。

 東京国際映画祭の「特別招待作品」として『すべては君に逢えたから』が上映されるので、、見に行った。公開より一か月前に見られるのなら、やっぱり見たい。

 そもそも、日本版『ラブ・アクチュアリー』を目指したというこの映画。『ラブ・アクチュアリー』や『バレンタインデー』と思い比べながら、見た。恋人どうしのベッドシーンが一度もないことが、恋愛偏重ではなくいろいろな世代の観客に見てもらおうという意図の現れのように見えた。
 予告編を見た時から気になっていたのは「余命を宣告された新幹線の運転士」の話があるということ。そもそも「死にゆく人の話」と「同性愛」は『ラブ・アクチュアリー』が慎重に排除した要素だ(なぜ「排除した」と言えるかというと、脚本の原型を基にしたノベライズには、それらの要素が入っているから)。『バレンタインデー』では意外な形で「同性愛」を取り入れていた。
 そして『すべては君に逢えたから』では「死にゆく人の話」が入るのか。これで「泣かせよう、泣かせよう」とする話になっていたら嫌だなと思っていた。けれども見終えてみると、運転士の話にも明るさも盛り込まれていて、気持ちよく見ることができた。

 一番感じたのは、思った以上に「モノ」語り――モノを重要な要素にした話が多い、ということ。
 うまくいかない遠距離恋愛の話では「モノ」の無くなった所での復興を目指す仕事に従事する津村(東出昌大)から見れば、「モノ」のあふれる東京で、ファッションという虚飾に満ちたモノに関わる山口(木村文乃)が遠く感じられることはあるだろう、と納得した。
 養護施設で暮らす女の子にとっては、クリスマスカードという「モノ」が大事な支えになる。
 ウェブデザイン会社の社長、黒山(玉木宏)と、小さな劇団員の佐々木(高梨臨)という結びつきそうにない二人を結びつけるのは、DVDという「モノ」だ。
 日本人は、西洋人に比べると「モノ」に心や魂がこもっているという考えを持つ人が多い、と聞いたことがある。
 客観的に見れば、ただの「モノ」でしかないが、それが人そのものの代わりになったり、歳月を表したり、忘れえない思いになったりする。そういう意味では、ケーキ屋の店主・大島(倍賞千恵子)の話が一番の「モノ」語りなのだが、これは明かすわけにはいかない。

『ラブ・アクチュアリ―』や『バレンタインデー』に比べると「笑い」が少ないのではないか、というのも気になるところだ。確かにおバカな笑いはない。けれども明るいパートは黒山―佐々木ペアが担当している。玉木の華やかな存在感とメリハリのきいた演技はこの映画を支えていると思うし、この二人のエピソードは下手をすると一番わざとらしくなりそうなのに、説得力があって、もっともっと見ていたいと感じさせ、クリスマスらしい雰囲気を盛り上げる。
 全体として、人生のさまざまなステージにおいて「こういうふうに見てみれば、少し今までとは違って見えるかも」と優しく提案しているような温かな映画。


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