2013年09月04日

『小さな村の小さなダンサー』感想

以下の文章では映画『小さな村の小さなダンサー』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 日本題名は内容からちょっとズレている、と書いていた人がいる。確かに、原題『マオ(毛沢東)の最後のダンサー』の方が内容をよく表してはいるだろう。
 小さな村の少年が見込まれて、都会で審査を受け、選ばれる。親元を離れ、バレエダンサーになるための学校に入るのだ。成長し、仕事として踊る彼らは、江青女史の好みに合わせたバレエを見せたりするが、ある日アメリカのバレエ団から客が訪れる。友好のためアメリカに招かれることになったのが、かつての小さな村の少年リーだった…

 冒頭からしばらくは、アメリカに着いたリーと彼の回想が交互に描かれるが、リーが代役として舞台に立つあたりから話は一筋になる。
 もちろん、その場面も見せ場と言えるのだが、その後に三つくらい見せ場が来る。
 ひとつは、自由に踊ることを覚えたリーがアメリカに留まりたいと願い、アメリカ人女性と結婚して領事館に伝えに行く場面。はらはらさせる。
 二つ目は、それから何年かたってやっとアメリカに来ることのできたリーの両親が、舞台上で踊るリーを見る場面。素直な感動。
 三つ目は、さらにそれから数年後、故郷の村を訪れることのできたリーが、家族や村の人たちの前で踊って見せるところ。風の中、地面の上で踊るのが新鮮。
 実在の人物を描いた話だから、いったいどういうところへ収束するのか、いろいろ想像しながら見た。
 実は、リーはアメリカ国民になる際に結婚した女性とは別れてしまう。リーのほうはソリストとしてバレエ団に迎えられるのに、女性はオーディションを受ける身。でも彼女は踊りを諦めることはできない。彼女がアメリカ人で彼がそうでない間は彼女には手助けできることがあったのに、彼がアメリカ人となった今、彼女には目に見える形で彼を助けられることは最早ないのだ。
 残酷だけれど、そういうことなのだろう。
 アメリカ人が中国人ダンサーを「アスリートのよう。感情がない」と評する場面がある。その中でリーは違う、というのだが、こちらの目から見るとリーの踊りは西洋人ダンサーたちに比べれば、感情表現が抑えられているというよりストイックなように見える。そして、その彼がもっとも感情を込めて踊るのが、故郷の村の地面での踊りのように見えた。


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