2013年08月17日

『男たちの大和YAMATO』感想 

 以下は、TVで『男たちの大和YAMATO』を見た感想ですので、この映画の内容に触れています。ご了承ください。

「戦争映画を見に行こう」と思って見に行った人が満足をするような映画。
 たぶん、戦艦好き、という人はいると思うのだけれど、まずはたっぷりと大和の威容を見せる。
 そしてストーリー上でも、戦争映画に出てきそうなことは、ほとんどすべて登場する。上官からのしごきもあり、それに反発する者もあり。同じ船に乗った者どうしの友情もあり、いったん陸に上がって再び出発する時にはせつない別れもあり。
 その上、戦闘シーンはたっぷり。自分に害が及ぶはずもない映画の画面の中でなら、すさまじい戦闘シーンを見たいという人はいるだろう。血は飛び散るし、人は吹っ飛ぶし、燃える。そういうものを見せることによって戦争の悲惨さを伝えることができるのだ、という理屈が戦争映画には成り立つ。
 戦争が終わっても、友人の死をその母に伝えに行って「ごめんなさい、自分だけ生き残ってごめんなさい」と土下座するシーンもある。一つ一つのシーンは、どこかで見たような気がするものであっても、「戦争では、そういうことがあちこちで起こっていたのだ」と言われれば、そうでしょうと思う。現代の場面も含めて、その「万遍ない描き方」は巧い。
 もう死ぬとわかっているような最後の攻撃に出る前に出てくるセリフ。
「敗れて目覚める。それ以外に日本が救われる道はない。今日目覚めずして、いつ救われる? 俺たちは日本があたらしく生まれ変わるために、そのさきがけとして散る。まさに本望じゃないか」
 こじつけの理由だとは思うが、一番印象に残ったセリフだった。


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