2013年07月31日

『てぃだかんかん』

そもそもなぜ見る気になったのか、と言うと、今撮影中の『神様はバリにいる』の監督が作った他の映画を見たことがなかった。そこでBSで放映されるこれを見てみようと思った、といういきさつ。
以下の文章では映画『てぃだかんかん』の内容・結末に触れています。ご了承ください。


 実話をもとにした映画、の大変さを感じた。実在のモデルがいる限り、基本的にその人を悪くは描けないだろう。事実、サンゴの養殖を試みるという海の将来を考えたことを実行した人なのだから、そうしたことについては文句のつけようがない。
 では周りの人をどう描くのか。これも実際にあった話なら、そうウソはつけない。正直言って「夢を追う夫を支える健気な妻」という図式はちょっと飽きたなあとも思うのだが「事実、こうだったんですよ!」と言われたら「そうですか」と見ているしかない。
 とはいっても「主人公の周りの人たち」の描写には面白い点もあった。ひとつは 諦めかけた主人公を妻が殴るシーン。諦めるな、と言うわけだが、思いっきり殴っている(ように見える)のが、こっちの予想を超えていて面白かった。
 もうひとつは、主人公から「お父ちゃんが金持ちになって海を放っておくのと、貧乏で海を上等にするのと、どっちがいい?」というようなことを聞かれた子供が「お腹一杯食べたい」と答えるシーン。そりゃそうだ、子供の本音だろうなと笑ってしまった。

 どうやら私には、映画を見る時に「何かこちらの予想を超えるものを見せてくれるのではないか」と期待している部分があって、先に挙げた二つのシーンにはそれを感じたのだ。
 でも肝心の「移植されたサンゴの産卵が成功する場面」では、予想を超えた感動はなかった。
 主人公(たち)が、周りの協力や励ましや、あるいは無理解や非難にも囲まれながら頑張ってひとつの成功と言える段階までたどりつく。そういう話のクライマックスで感動させてもらうには、主人公の努力によって主人公自身が何かを見せてくれるのが一番(つまりスポーツとか演奏とか、何か実技系の目に見えるもの)。サンゴの産卵を見るだけでは、私にはなかなか感動しにくい。もちろんその場面はたいそう美しいのだけれど。
 そしてすでに誰かが書いていることでもあるけれど、その産卵シーンを主人公が直接見ていないこと。ここはウソでもいいから諦めかけていた主人公が最後に「あっ」と気づいて見つける、ということにしてもらいたいのだが、やっぱり「実話」がもとになっていると改変はしにくいのだろうか?

 とりあえず、ここから思ったのは、バリ島の映画が(どういう点においてでもいいから)私の予想を超えるような映画でありますように、ということと、もしそれが「これだけやった!」というような達成感を見せる映画なら、ウソでもいいから主人公(あるいは語り手)自身が何かを実際にやり遂げた話であってほしい。ということだった。


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