2013年07月22日

久々に『ラブ・アクチュアリー』を見た

もちろんDVDで見ただけだが。今度のお正月映画(クリスマス映画?)の『すべては君に会えたから』が「日本版ラブ・アクチュアリー」と言っているので「そうなのか?」と久々に見た。というわけで以下の文章ではその内容に触れています。ご了承ください。

 映画館で見たときには、もちろん『フォー・ウェディング』『ノッティング・ヒルの恋人』に続く、リチャード・カーティス(『4W』と『ノッティング・ヒル』では脚本、『ラブ・アクチュアリー』では脚本・監督)とヒュー・グラント(主演)の映画、として見た。『フォー・ウェディング』で「中流のインテリしか描けない」等と批判されたカーティスは、その後それ以外の人々を描こうとするよりは、自分にはこういう世界が合っているんだと開き直って、話をつづってきたような気もする。ただし、『ラブ・アクチュアリー』では首相まで登場するとか、外国にも行ったりするあたり、そういう批判を全く気にしていないわけでもないのかもしれない。その代わり『4W』には登場していた同性愛者は消えた。おそらく元の案に近いであろう『ラブ・アクチュアリー』のノベライズ本には同性愛者が登場するのに、映画ではいない。

 同じ場所に集った人たちを描くのではなく、違う場所にいるが(たまに出会ったりする)ゆるやかにつながっている人々の複数のお話を描くという点で上手だと今見ても思う。19人が描く9つの物語、と書いてあるが三角関係の相手も入れれば、主要登場人物は20人を超える。でも、場面転換すると、すぐにこれは誰の話だったかがわかり、話にスムーズについていける手際の良さはたいしたものだ。そして全体としては、気持ちのいい話にまとめ上げている。
 気持ちよく終わっているのは、9つの話のうち(恋愛ばかりではないが)6つはハッピーエンディングと言っていいからかもしれない。あとの3つはビターな終わり方。
 たとえばウディ・アレンの『ローマでアモーレ』もゆるやかにつながった複数のお話だが、ここではビターな結末のほうが目立っている。
 ゆるやかにつながった話の集合体を見るなら、やはり全体としては幸せな結末が多いほうが気持ちよく見られるだろう。と言ってもそれがリチャード・カーティスの計算なのか資質なのかはよくわからない。ヒューはインタビューで「カーティスは楽観的なんだ。コップに水が半分入っていると『もう半分しかない』と思うのが僕で、『まだ半分もある』と思うのがカーティス」と言っていた。
 で、もうひとつ思うのはやはりこれはカーティスからヒューへの花束でしょう、ということ。
 リアム・ニーソンもアラン・リックマンも出ているのに、ヒューが英国首相。そしておいしい場面をさらう。
 カーティスはこの後、ラブ・コメディを作っていないし、今のヒューは、あまり映画に出ない。そのことを予想していたのかどうかは知らないが、結果としてカーティスのラブ・コメディを最高に面白く可愛く見せてくれたヒューへの感謝の花束になっていると思うのだ。


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