2013年06月15日

『孤高のメス』からの雑感

 成島出監督の『孤高のメス』を放映していたので、見た。成島監督作品を見るのは4作め、年代もバラバラ。映画館で見たのは『山本五十六』だけで、『ミッソナイト・イーグル』はDVDで、『八日目の蝉』とこれはケーブルTVで見た。
 成島作品はいつも「丁寧さ」を感じさせる。特に、日常生活の積み重ねを描くときにそれを感じる。この『孤高のメス』で言うと、語り手の看護士が子供を保育園に迎えに行く場面や、つばめの巣を見守る場面。語られる側の医者が、手術時に演歌のカセットテープを流すのを好む場面。
 主人公は腕のいい医者で美しい手術をするという設定だから、手術場面を見ていても気持ち悪いことはなかった。丁寧に描かれていくから、この医者に好感を持ち、応援したくなるのだが、ここには脳死者からの肝臓移植という深刻な問題を含むことも描かれている。
 しかしこの映画の巧いところは、あくまでも一医者の挑戦としてその手術の成功を祈るように描くという形にしていることだと思う。これで「だから脳死者からの移植を進めよう」などという方向へ行ったら、とんでもないと反対する人も多いだろうが、そうしないで留めているところが巧い。身近に迫った死に対してどうするか、という誰の身にも起こりそうなこととして描いているからいいのだ。

 あらためて、成島監督は日常を描くのが上手なのだ、と思って振り返ると、『山本五十六』だって五十六の家庭生活を描いた部分が印象的だったし、『ミッドナイト・イーグル』はアクションとしてはダメだと思うが、登場人物どうしのやり取りを描いた場面には面白いものがあった。おそらく成島監督は「国家とは…」とか「医療とは…」というような大きな物語を語るよりは、個人にまつわる小さな物語を語る時にその良さを最大限に発揮するのではないだろうか? だから小さな物語を行き来する『八日目の蝉』の評価が高いのではないか…と思ったりした。


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