2016年11月08日

本 贋作『坊っちゃん』殺人事件

 以下の文章では、柳 光司 の「贋作『坊っちゃん』殺人事件」の内容に触れています。ご了承ください。


 ミステリーをあまり読むほうではないので、「へえ、『ジョーカー・ゲーム』の作者がこういうものを書いているのか」と思った。もっとも『ジョーカー・ゲーム』も映画になったということを知っているくらいで、読んだことはないのだ。
 はじめのうちは特に、もとの『坊っちゃん』を思わせる言葉遣い・リズムで、よくよく『坊っちゃん』を読み込んで書いたのだろうと思われる。
 赤シャツが死んだと聞いて驚き、山嵐に誘われて、再びあの地へ行こうかという時の
「そうだな、まあ行かないでもない」
「なに、休めないことがあるものか」
というような喋り方も坊っちゃんそのものだ。
 再び四国に着く時の様子は、坊っちゃんが初めて赴任した時とまるで変わらないし、それが三年経っても、ここが変化していないことを示しているようだ。再会しても変わらない山城屋のおかみ。相変わらず、よそ者のしたことはすぐに町中に伝わる速さ。
 地元のばあさんとのやり取りにはさまる、坊っちゃんの感想
「田舎の噂なんて大抵こんなものだろう。死人に口無し。都合の悪いことは全部死人のせいだ。おちおち死んでもいられない」なんていうのも、いかにも坊っちゃんの思うことらしい。

 鍵を握るのは『坊っちゃん』本編では重要だが、そんなにたくさんは出てこないマドンナとうらなりくんである。こういう小説の場合、本編ではそんなに出てこなかった人のほうが「実は……」という話を作りやすいわけだ。
 漱石は、たいてい主人公などから憧れられる女性の内面は描かないからこそ、マドンナをこういうふうにアレンジできる。
 そして、漱石は決してあからさまには同時代の政治のことを描かなかったが、ここでは「赤シャツ=社会主義」「山嵐(堀田)=民権派」という対立があったということを謎解きの背景にしていく。東京から来た坊っちゃんが最初いったい何者かと疑われ、情に厚く熱心だから自分たちの仲間に引き入れたかったという事情も語られていく。
 この謎解きの部分になると、説明が多くなるから、もとの『坊っちゃん』の文章のリズムや表現をうまくなぞったような描写は、どうしても少なくなっていく。それが残念だが、もちろん、推理ものの、同期や背景を説明する部分というのは、どの小説でもそうなるものだ。
「こう読めるかもしれない」という物語として面白かった。


この記事へのトラックバックURL

 

QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
mc1479