2016年07月06日

蜷川実花さんの写真集(の玉木くん)

 IN MY ROOM という。蜷川さんの写真集。もともと雑誌に掲載されていたもので、玉木くんの載った号は買っていた。だから買うのよそうか、という気持ちもあったのだが、東京での写真展には行かないし、書店では立ち見できないようにビニールがかけてあったので、買った。
 ひとりあたり4ページ。総勢36人。途中、少し休みをはさんでいるが、連載としては完結している。
 初めて撮る人もいれば、何度目か、何年ぶりかの人もいる。共通点があるとしたら「蜷川さんがカッコイイと思っている男性」なのだろう。もちろん雑誌のことだから、その号が発売される頃にその人に関する何かがリリースされた、という場合が多いと思う。

「私の部屋で」というが、室内の写真ばかりではない。街中だったり水族館だったり。室内だとシャツの前をはだけてくれるサービスもあったり。脱いではいないが、ベッドの上にいたり、ベッドやソファで仰向けでもうつぶせでも寝てるポーズ、の人も。
 全体を通して見ると、最初は本当に「部屋の中」で撮影していたものが、時間と条件の許す範囲で「外」で撮るようになったのかもしれない。
 そういう中で見てきても、玉木くんのどアップは目を引く。顔全体がページに収まらないくらいの。ヒゲもちょろっと生えているのだが、目と唇のインパクト大。特に目。瞳の色の薄いのがよくわかるのもあるし、いわゆる目力に圧倒されそうなものもある。
 背景のわからない、スタジオで撮った写真なのだろうが、玉木くんだけ「ガラス越し」なのは他の人にない特徴。
 玉木くんの手前にガラスがあって、そこに水滴がついている。いや、上から水を流しながら撮影したのかもしれない。手法としては、それほど珍しいものではないのかもしれない。
 しかし、IN MY ROOM というタイトルからして、どちらかというと、くつろいだ、撮る側と撮られる側の隔たりのない共同作業的なものを想像していると、この写真だけは「IN MY ROOM」ではない、と思うのだ。ガラスの向こう。撮る側が部屋の中にいて、撮られる側は外にいるのか。あるいは撮る側が外に居て、たとえばガラス窓越しに、中に居る、撮られる側を見つめているのか。
 この写真を見ると、一介のファンにとっては「その通り」だという気もする。ファンにとっては、彼はいつも何かの向こうに居る人。テレビの画面の向こう。スクリーンの彼方。彼との間には、まさしく隔たりがある。
 しかし、「写真を撮る」という行為自体、すでにレンズ越しに、つまりガラス越しに隔たれた対象を撮るわけだ。いくらくつろいでいるように見えても、部屋に居るように見えても、それは違いない。
 では、「玉木宏を撮る」ということは、特にその「撮る」という行為を意識させる出来事だったのか。だから、あえてガラス越しであることをはっきりわからせる撮り方をしたのか。
 実際、くつろいでいるような、自然に見える表情をしていることも多い他の人と違って、玉木くんはほぼ同じ、こちらを見据えている顔、それだけである。
 遠くを見る目も、憂い顔も、にっこりもしていない。射るようにこちらを見る視線。「サクサクっと撮り終えた」らしいが、ということは、この目線、この顔こそが、撮る側にとって「撮りたい」と思う玉木くんだったのだろう。少しも目を逸らさない、その顔。誘っているというより、挑んでいるような目。
 そういう表情だけを撮って、しかも「これが玉木宏です」と言われれば納得してしまうような。常に「あちら側の人」ではあるが、目を逸らさない。「撮られる」ではなく、あえてこう行く、と向かってきているような目にも見える。
 こう向かいますが、どうですか? どうします? と撮られる側が来て、撮る側が行きましょう、と応じる。撮る側が「あなたを撮って作品にする」と臨んでいるなら、撮られる側も「これでいきますか」と提案しているような。戦い、というと厳しすぎるかもしれないけれど、どこかそういう意味合いすら感じさせるような写真で、そこが好きだ。


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