2016年05月11日

「川端康成初恋小説集」感想

 以下の文章では、「川端康成初恋小説集」の内容に触れています。ご了承ください。

 この文庫本には、「ちよもの」(「ちよ」は作者の初恋の女性)と呼ばれる作品が集められている。同じ作品の第1稿、2稿、もっとその後の……らしきものが並べられていたりして、その比較をするマニアックな読み方を楽しむ本なのかもしれない。
 たとえば最初に掲載されている『南方の火』の最後に「その少年の心を感じる少しの表情も見せずに、みち子は薄っぺらに笑っていた。俊夫は少年の傘に落ちた冬の雨が、自分の心に落ちる音を瞬間聞いた。」とある。35ページから掲載されている長いほうの『南方の火』には、最後ではなく途中で同じような場面が出てきて、「その少年の心を感じる少しの表情も見せずに、弓子はなにげなく微笑んでいた。時雄はその少年の傘に落ちた冬の雨が自分の心に落ちる音をふと聞いた。」となっている。語感だけで受け取ると「薄っぺら」は明らかにマイナスイメージを持つ言葉だ。「なにげなく」は、そうでもない。その後の展開では、弓子は時雄には簡単に理解できないような心変わりを見せて、いったんは結婚できると思った時雄に、まったくそうできない様子を見せる。その時のショックを与えるためにも、ここではまだマイナスイメージの言葉は出てこないほうがいいと判断したのだろうか。
 同じような場面は、『新晴』という作品では、また少し違って、稚枝子は、東京から来た少年の心を、聊かも感じ分けない風に、軽々笑っていた。」となる(ここには「自分」の反応はない)。この表現になると、また稚枝子が薄情な感じになる。
 
 また、別の作品『彼女の盛装』では、彼女が家出して東京の自分の所に来るまでに、揃えておいてやろうと思った品々のメモが出てくる。本文では一行に一項目書いてあるのだが、適当にかな書きに直しながら、続けて書いてみる。
「鏡台 女枕 手袋 化粧てぬぐい 髪飾 針箱 針 糸 指抜 へら
はさみ アイロン こて へら板 こて台 鏡台掛 手鏡 洋傘と雨傘
部屋座布団 衣装盆 櫛 ブラッシュ 髪こて 元結 髷型 手絡 葛引 びん止め おくれ毛とめ ゴムピン 毛ピン すき毛 かもじ ヘヤーネット 水油 固ねり油 香油 ポマード 櫛タトウ」
 化粧関係、特に髪の関係のものが多いこと。女性が身だしなみを整える準備をきちんと揃えておいてやろうとしたのだ、とも言えるが、じゃあ服(着物)や履き物はまったく揃えてやらないのか、という気もする。また、茶碗や箸が入らないのは、ずっと外食で済ますつもりだったのだろうかと思うと、生活感のない「揃えるべきものリスト」にも見えてくる。
『南方の火』に戻ると、時雄の思い描く結婚というのも、なかなか厄介だ。十分に子ども時代を味わわなかった、自分も弓子もそうだと思っている時雄は、まず二人で十分に子ども時代を味わおうと考える。かと思うと、弓子の荒れた手を見て、そこにレモンやクリームを塗ってやりたいと思う。
 実際に、二人の人間が暮らして子ども時代を楽しむなどということができるのか。食事はどうする? 子どもに戻る、と言いながら「食べること」は女性の側が用意してくれるという前提なら、甘い思い込みだ。昔のことだ、掃除も洗濯も重労働だろう。
 
 自分の思い描く通りにこの娘と暮らしてみたい、かばってやりたい、愛してやりたい。ただし、それは自分の思う形で。それは女の側からすれば愛されている、とはなかなか思えないのではないか。
 それを鋭い勘で悟った弓子が断ってきたのだとしたら、弓子の判断は正しかったような気がする。
「ちよもの以外にも「女性観をよく表した作品」が収録されているのだが、その中にも興味深い表現はある。
『再会』では、不倫関係にあった女性と久しぶりに会った男が、相手の変わりようを見て「白い肌が首から上はやや黒ずんでいる、その素顔が出て、首の線の胸の骨に落ちるところに疲れがたまっていた。」と描写するのは残酷な観察眼だと思う。いずれこんなふうに見られるようになる、と予想して別れを告げる女もいるだろう。
 巻末の解説では、川端香男里が「この時代、女給という仕事は市民権を獲得していた」と書いている。ならば「自立して、自活できる女性」だったはずの初恋の人が、そうはさせてくれなさそうな男を敏感に嗅ぎ取って避けたのかもしれない、とも言える。


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