2016年04月04日

あさが来た

 以下の文章では、ドラマ『あさが来た』の内容・最終シーンに触れています。ご了承ください。

 朝ドラを最初から最後まで通して見たのが初めての私が言うのも何だが、上手に作られたドラマだったと思う。

【時代劇であることを利用】
 朝ドラ初の「幕末から始まるドラマ」と宣伝された。こういう時代設定になったのには、制作統括の佐野元彦さんの意向が反映しているような気がする。『篤姫』で、将軍や姫の立場から描いた幕末を商人の側から描きたい……確か、そういう発言もあったと思う。
「時代劇」という枠を設定することで、はつとあさの姉妹が決められた相手のもとに嫁いで「お家を守ろう」とする始まりが、無理なく受け入れられた。現代の話なら、男も女もまず自分のために働き、フェミニストならすんなり男の姓を名乗ろうと思わない。そういうところは時代劇だと、あらかじめ決められたこととして通り過ぎてしまえる。
 あさが商いを始めようとしてからもそうだった。商家の旦那たちの勉強会に参加した時はじろじろとおいどを見られ、会の後に酒が出れば当然のようにお酌を求められる。現代劇なら「NHKはセクハラを容認するのか」と批判されそうな場面だ。それも「時代劇だから」ということで済まされる。いや、ひるがえって現代でも似たようなことをする男がいることを思い起こさせる皮肉にもなる。
 現代を考えさせる、という点では登場人物の死もそうだった。ドラマ中で臨終の場面が描かれた人物は皆、家族に囲まれて自宅で逝く。病室でチューブにつながれて意識不明のまま亡くなることの多くなった現代への批判ととれなくもない。
 さらに、登場人物たちの平和主義的なセリフがある。男ばかりの炭坑に乗り込んだあさが、ピストルを出すとたちまち相手がおとなしくなったと語ると、夫の新次郎は次のように語る。
「相手負かしたろ思て武器持つやろ。そしたら相手はそれに負けんようにもっと強い武器を持って……太古の昔からアホな男の考えるこっちゃ。あさは、何もそない力ずくの男の真似せんかて、あんたなりのやり方があるのと違いますか?」
 現代への批判ともとれそうなこのことば、現代劇ではなかなかセリフにはしにくいだろう。

【登場人物の面白さ】
 しょっちゅうテレビで見る顔、そうでもない顔を取り混ぜたキャストも良かった。ヒロインたちの親の世代はベテランの人たちで固め、あさに対して常に「よくできる姉」であるはつと、その結婚相手で最初は無表情な惣兵衛を、宮﨑あおいさん、柄本佑さんが絶妙に演じた。
 ヒロインのあさが健気なだけでなく、ある意味大雑把な性格なのも面白い。新婚で夫が夜出かけてしまっても「考えてもしゃあない。寝よ!」とぐっすり寝てしまう。なるほど事業を次々と興していく女性には、こういう面も必要だろう。甘えるのも下手。人の気持ちに鈍感なところもある。そういう豪快なヒロインを可愛く品のある波瑠さんが生き生きと演じた。
 色気を売りにする女が登場しなかったのも、女性視聴者に評判が良かった要因ではないだろうか。仕えることを貫くうめも良かったし、もっとも色っぽいと見えた三味線の師匠・美和は妾は自分の道ではないときっぱり拒否をして、レストラン経営者に転身する。

【やっぱりラブストーリー】
 家業の両替商を手伝うところから始まって、炭坑経営、銀行、女粗大設立への協力、生命保険会社と次々に仕事をしていくあさだが、仕事の内容がいちいち詳しく描かれるわけではない。ただ、「先に形にしてしまったほうが勝つ」みたいなセオリーを見せてくれたのは面白かった。あさは常に時代を先取りし、先に形を示してしまうほうが賛同を得やすくなることを心得ていた。最初はお家のためにお金が欲しい欲しいと言っていたあさが、ゆとりができると後の時代に何が残せるかを真剣に考えて教育に力を入れようとする流れも、無理なく描かれていたと思う。
 男社会への挑戦と同時に、家の中では娘に反発される。そんなあさを支え続けたのが夫の新次郎。
「このドラマの一番の功績は、『妻を支える夫』というキャラクターを生み出したこと」と言う人もいる。
 漫画家の柴門ふみは、このドラマの構図は「古くからの少女漫画の定石」と見抜き、「イケメンがそろいもそろってヒロインを手助けしてくれる」と書いた。まさにその通りで、夫についても、五代友厚についても、自由な創作が多いのだろう。それでも「女主人公がふたりの男の間で揺れ動く」という形にならなかったところに健全さを見る。これは夫も同じで、妾は置かない、と断言する。以来ふたりは年を経てもラブラブ夫婦なのだ。
 あさが縫い物が苦手、とか新次郎が雨男、といった設定も生かされていたが、最終週になって「やっぱりラブストーリーなんだ」と感じた。
 老いて病を得た新次郎のそばにいるために、仕事から引退するあさ。お互いの大切さを確認し合うふたり。
 ひょうひょうとして、でもどこか核心を突くようなことを言う新次郎。お茶、謡、三味線は名人の域。商いは嫌いだが、旦那衆との付き合いを活かして陰で手助けする。つかみどころのなさを残しつつ、やりすぎでない芝居で見せ切った玉木宏さん。
 美しい所作、三味線を弾く姿勢。お茶道具を扱う手の動き。巾着を回す動作が印象的だったので、晩年になってそれがなくなり、背が曲がっていくのを見るのはつらかった。
 ラストシーンを見て意外に思った人もいたらしい。私も、あさの業績が現代まで続いていますよ、というような終わりかと思っていたのだが、そうではなかった。
 老いたあさが話を終えてふと見ると、少し離れたところに若い姿の新次郎が立っている。駆け寄るうちに、あさも若い姿に。
 多くの視聴者は「消費できる感動」を求めている。そうした希望に応えるためにも「事実ではないかもしれないが、あってほしい場面」を節目節目に入れてきたこのドラマ。それらをわざとらしくなく見せたのはスタッフ・キャストの力量だ。半年間、この人物たちに親しんできた視聴者が望みそうな、納得できそうな着地点がここだったのだと思う。つまり、女実業家の人生を描きつつ、ずっと愛し合った夫婦の物語だということ。


この記事へのトラックバックURL

 

QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
mc1479