2016年03月01日

キャロル

 以下の文章では、映画『キャロル』の内容・結末に触れています。ご了承ください。


 これは、女性のための映画だ。描かれるのは女どうしの愛だが、興味本位ではない。ひと目見て惹かれ、一緒に食事をして、旅に出て……と深まっていく愛が自然に描かれる。

 1950年代。キャロルは人妻で娘が一人。きちんと整えられた髪、タイトスカートにハイヒール、赤い唇。ケイト・ブランシェットにはそういうクラシカルなファッションがよく似合う。実は、もうすぐ離婚する予定のキャロル。
 彼女がクリスマスプレゼントを買いにきたデパートで働いていたテレーズ(写真家志望)。テレーズがキャロルの忘れ物を届けたことから、二人の交際が始まる。
 離婚協議中のキャロルは、最初どうしても娘の養育権を欲しがっている。少し夫を避けて旅に出るのだが、テレーズが同行することになる。夫は探偵に尾行させて、キャロルが同性と不適切な関係にあることを証拠に、養育権を奪おうとする。
 女性どうしの愛が女性の自立と重ねて描かれることは、今までにもあったと思う。直接にキャロルとの愛が原因になったわけではないが、テレーズは写真家としての腕も活かせる職場で働き始める。
 キャロルはどうか。娘を自分のもとに置くことにこだわるのなら、心理療法を受けて、自分は「正常」になったと主張しなくてはならない。キャロルが娘をかわいがる様子見ているだけに、そうなるのかなと思う。それだけ「母性」をいろいろなことの理由、切り札にする展開を私たちは今まで(他作品で)見てきている。
 しかし、そうはならない。それがこの映画の重要なポイントだ。キャロルは自分の性的指向を否定せず、娘を引き取ることを諦め、面会権だけを求める。
 自分で自分を否定することはできない。キャロルは、しばらく会わずにいたテレーズと再会し、誘い、テレーズもそれに応える。
 仕事の時間は別として、二人の指向する世界には男性は入って来ない(キャロルの子どもが娘であることにも意味があるのかもしれない)。それが、この映画を女性のためのもの、と感じた理由だ。


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