2015年07月31日

『世界の果ての通学路』

 以下の文章では、映画『世界の果ての通学路』の内容に触れています。ご了承ください。


 ドキュメンタリー。いや、言いたいことが決まっているという点では、自然をありのままに撮ったようなドキュメンタリーとは違うのだが。

 最初に字幕で「学校に通える幸せを忘れていませんか?」と出て、ほぼそれがテーマだと言える。
 ケニアに住む11歳の少年ジャクソン。学校まで11キロ。
 モロッコに住む12歳の少女ザヒラ。学校まで22キロ。
 アルゼンチンに住む11歳の少年カルロス。学校まで18キロ。
 インドに住む11歳の少年サミュエル。学校まで4キロ。
 ザヒラだけは寄宿舎に入っているので、月曜の朝に行くと、週末までは帰らない。他の子どもたちは毎日である。カルロスは妹と一緒に馬に乗って行く。サミュエルの4キロは他に比べると短いように感じられるかもしれないが、サミュエルは車椅子に乗っていて、弟二人が押したり引いたりしていくのだ。
 四人の話が並行して描かれる。馬に乗っていても山道は大変だし、自家製の車椅子は途中で壊れそうになる。待ち合わせて一緒に行く友達が足首が痛いと言い出し、ヒッチハイクしようとするが、なかなか乗せてもらえない。
 というようにどこでも苦労はあるのだが、もっとも印象的なのは、草原の15キロを2時間で行くケニアの少年だと思う。父は「象を避ける道」を教え、少年は連れていく妹に気を配りつつ「こっちを駆け抜けるぞ」「急げ」などと指示を出す。ケニアでは毎年4、5人の子どもが象の犠牲になる、とナレーションが入ると「野生動物の保護」という観点からとはまた別な、厳しい現実が見える。通学は文字通り旅であり、冒険なのだ。
 何のためにそこまでして学校へ通うのかと言えば、きちんと勉強して、将来なりたいもの(パイロットだったり医者だったり学校の先生だったり)になるため。「勉強したいなら頑張らないと」という言葉がこれほど嫌味なく聞こえる映画も珍しい。
 もちろん、学校には「勉強するところ」以上の魅力があるのだろう。サミュエルが到着すると、同級生が7、8人も寄ってきて車椅子を押していく。サミュエルを助けようというよりも、車椅子を押すのが楽しくて仕方がないというように。いい笑顔だった。


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