2015年05月20日

本『写楽 閉じた国の幻』

 以下の文章では、『写楽 閉じた国の幻』の内容に触れています。
ご了承ください。

 玉木宏くんが御手洗潔を演じる、と聞いてから、島田荘司さんの「御手洗潔シリーズ」は、かなり読んだ。島田さんには他にもシリーズものがあり、多作な人だが、御手洗モノを読むまで、私は島田作品を読んだことがないと思っていた……が、あった。昔、『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』を読んだのだ。漱石という実在の人物がホームズという架空の人物に出会う。というわけで、島田さんの作品はどこまで事実か、いや、そもそも小説に関してそんなことを言うのが無粋なのかもしれないが、これも「どこまで真実?」と思うような話だった。
 もっとも、写楽についての真実なんてよほどの証拠が出てこない限り、わからないだろうが。

 これも一種の謎解きだ。現代の、浮世絵研究をしてきて一冊だけ著書のある佐藤という男が「写楽とは何者か」を解明しようとする話と、江戸時代の真相を描く話が並行して描かれる。佐藤を手助けする女性の片桐が混血の美女だというのが島田作品らしいといえば、らしい(御手洗シリーズに登場するレオナも混血の美女だ)。
 作者自身があと書きに書いているように、現代編の話は完結していないし、話の発端になった作者不明の肉筆画は誰のものなのかという推理も披露されていない。が、この話はこれで成立しているし、面白い。
「誰が作者か」を推測していく方法を教えてくれるし(たとえば、写楽の絵は、歌麿と耳の描き方が似ている)、似ている点を比べようとすると、比較する作品の多い人になっていくから「写楽の正体はは北斎か歌麿」という説が多くなる。
 しかし、なぜ10か月で消えて、その後誰も「自分が写楽だ」と明かさなかったのか。それは明かせない人物が描いたからだ。明かせない人物が描いた絵を、版画にできるよう別の人物に「しきうつし」させ(だから「写す楽しみ」で「写楽」という名にする)、大々的に刷って売り出した蔦屋こそが冒険者だった。威張った役者には反発を感じ、誰の絵だろうと良いものは良いと判断し、大胆に勝負に出る蔦屋。
 そういう蔦屋の人物像と、あり得ないようなことを周りから証拠を固めてゆく過程は、確かに推理小説に似ていた。


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