2015年03月23日
『はじまりのうた』
以下の文章では、映画『はじまりのうた』の内容・結末に触れています。ご了承ください。
最近またテレビで『ONCE ダブリンの街角で』を見て、素朴でいいよねと思ったこともあって、同じ監督の新作であるこれを見に行った。今度はダブリンではなく、ニューヨークが舞台。その街のあちこちでロケをしているという点では、前作以上に「街が主役」の映画なのかもしれない。
ただし、ここには『ONCE』を見た時のような、意外な拾い物をしたような喜びはあまりない。男と女が音楽を介して心を通わせながら恋人どうしにはならずにそれぞれの道を行く、というのは『ONCE』の時には新鮮な感じがしたが、今回は「そうなるのだろうな」と予想できてしまうからだ。
名前と顔を知られた俳優さんが出ているから、「もしかしてこの人たちは、ほんとうにこういう生活を送っているのかも」と思わせる力も弱い。主人公のグレタがギターを弾き歌う場面では、どうしても「キーラ・ナイトレイがギターを弾き歌っている」と見てしまうからだ。ただし、ニューヨークの街のあちこちで演奏して録音する場面では、「なるほどニューヨークでなら、こんなこともできるのかもしれないなぁ」と思わされた。こちらが漠然と持っているニューヨークのイメージ――雑然としていて自由で――にハマるからだろう。
そこがこの映画の一番の見所だ、と言ってしまえばそうかもしれない。そして主人公たちが、現代では特に有名レコード会社に頼ったりしなくても、自分たちの音楽を世に出せることを示して見せるのも小気味良い。もっともそれだって、今までの人間関係に頼ってはいるのだが。
最近またテレビで『ONCE ダブリンの街角で』を見て、素朴でいいよねと思ったこともあって、同じ監督の新作であるこれを見に行った。今度はダブリンではなく、ニューヨークが舞台。その街のあちこちでロケをしているという点では、前作以上に「街が主役」の映画なのかもしれない。
ただし、ここには『ONCE』を見た時のような、意外な拾い物をしたような喜びはあまりない。男と女が音楽を介して心を通わせながら恋人どうしにはならずにそれぞれの道を行く、というのは『ONCE』の時には新鮮な感じがしたが、今回は「そうなるのだろうな」と予想できてしまうからだ。
名前と顔を知られた俳優さんが出ているから、「もしかしてこの人たちは、ほんとうにこういう生活を送っているのかも」と思わせる力も弱い。主人公のグレタがギターを弾き歌う場面では、どうしても「キーラ・ナイトレイがギターを弾き歌っている」と見てしまうからだ。ただし、ニューヨークの街のあちこちで演奏して録音する場面では、「なるほどニューヨークでなら、こんなこともできるのかもしれないなぁ」と思わされた。こちらが漠然と持っているニューヨークのイメージ――雑然としていて自由で――にハマるからだろう。
そこがこの映画の一番の見所だ、と言ってしまえばそうかもしれない。そして主人公たちが、現代では特に有名レコード会社に頼ったりしなくても、自分たちの音楽を世に出せることを示して見せるのも小気味良い。もっともそれだって、今までの人間関係に頼ってはいるのだが。
Posted by mc1479 at 12:38│Comments(0)│TrackBack(0)