2014年10月18日

『天国の門』に感じる懐かしさ

 以下の文章では、映画『天国の門』の内容に触れています。ご了承ください。


 1980年の映画。今まで見たことはなかったが、噂は聞いていた。作品的な評価というよりも、「膨大なお金を注ぎ込んだのにアメリカでは1週間で打ち切りになり、ユナイテッド・アーティスト社を倒産させるきっかけになった映画」というもの。
 BSで放映されたのを見た。長い。3時間40分近い。それもアメリカで不評だった理由のひとつだと思うのだが。
 たとえば「冒頭の大学卒業式の場面は必要だったのか?」という批判があったと聞く。確かに、なくても話は通るだろうが、その後の西部の描写との対比を出したかったのだろうし、冒頭とラストの釣り合いをとりたかったのだろうと考えられる。

 ジャンル分けすれば「西部劇」なのだろう。一つ一つのシーンが長い。ただし、見終わって感じたのは長いということよりも、一種の既視感を誘うような懐かしさだった。女一人に男二人という構図。馬車を走らせる女。流れるようなダンスシーン。平原での戦い。それらが、いかにも「金がかかっているだろうな」というスケールでつづられていく。残酷描写もヌードシーンもけっこう直接的に描かれる。
 主人公の悩める(しかし決断すると大胆に戦う)保安官がクリス・クリストファーソン。彼と、一人の女をめぐって対立するのが、ガンマンだが病的な感じのするクリストファー・ウォーケン。そして、その女がフランス映画に出ているときより大胆な感じのするイザベル・ユペール。他にもジョン・ハート、サム・ウォーターストン、ジェフ・ブリッジスといった知った顔が登場し、しかもかなり死んでいく。
 ストーリーの骨格になっている、西部で先に暮らしてきた人間が、あとから来た東欧系の移民を追い出そうとして起こった戦いは、もちろん歴史上実際にあったことだと言う。そういう、アメリカにとって恥となるような歴史の一幕も、いわゆる「ニューシネマ」以降のアメリカ映画ではかなり描かれてきたものだった。そういう点も懐かしさを誘うのだろうか。
 今ではたぶん、これほどセットやロケにお金をかけずに背景はCG合成で済ませることが多いだろうし、保険をかけたりDVD発売で補ったりして会社をつぶすような映画はなくなったと思う。だとすると、この映画を見た時の「懐かしさ」は、こういう無謀なことのできた最後の(?)時代への、勝手なノスタルジーなのかもしれない。


この記事へのトラックバックURL

 

QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
mc1479