2014年06月17日

『事件救命医2 IMATの奇跡』

 以下の文章では、ドラマ『事件救命医2 IMATの奇跡』の内容・結末に触れています。ご了承ください。


 日向先生が帰ってくる! と楽しみに待った1ヶ月。昨年10月に第一弾が放映され、今年5月15日に、第二弾が6月15日放映と情報解禁された。早い。最初から続編も作る予定があったのかもしれないが、嬉しい。

 魅力のカギは主人公の日向にあると思う。ふだんはのほほんとしているが、事件現場に出ると恐いもの知らず。昔、爆破事件で目の前で父を失い、その時父が言いかけた言葉は何だったのか、今も聞きたいと思っている。同じ爆破事件でやはり父を失った刑事の影浦。たとえば刑事二人が組んで事件にあたる、というのはよくあるパターンだけれど、この二人は単に組んでいるだけではない。お互いを「もうひとりの自分」だと感じている。
 今回は、心臓移植手術にバスジャック事件がからむ。展開は早く、予測不能なストーリーはもちろん面白い。が、内容を見れば、これは絶望に関する話だ。
 絶望を味わい、相手にも同じ体験をさせようとする女(主犯)と、絶望の色が好き、と言いながら教祖の命令に従うことに幸せを感じる実行犯と、絶望を知りながらなお希望を見出そうとする医者の日向。復讐を遂げた女は死ぬが、日向には復讐したいという気持ちはあったとしても、その女のようにはできない。なぜなら日向は、爆破犯と疑われている父の無実を信じているから。父の無実を信じている自分が死んでしまったら、父を信じる者がいなくなる――たぶんその思いが日向を支えている。だから、彼は復讐を遂げて死ぬ、なんてことはできない。
 ところが、日向は医者である。医者としての立場を利用すれば「復讐」には見えないかたちで人を殺すこともできるかもしれない。もしかすると、それをやってしまうのではないかと影浦は疑っている。では影浦は? 影浦には絶望はなかったのか。あるいは絶望するヒマなく次のステップに進む人間なのか。
 走り続けるバス、という設定からは、どうしても映画『スピード』を思い出す。警官が途中でバスから飛び降りるのも、もしかしたら『スピード』のパロディか(『スピード』では、警官が途中からバスに乗ってくる)。ツッコミどころもあるが、押し切る迫力もある。
 今回の主犯が女性の医者であることで「医者は患者の生命を危機にさらすようなことはしないものだ」という前提は崩された。そのことによって影浦は日向への疑いを強めるだろう。しかも日向自身がその疑いを払拭しようとしていない。それどころか、SITに戻ることになったと告げる影浦に向かって日向は言う。
「人を殺せるようになったのか? お前は」
 裏を返せば「俺は、人を殺すことはできるよ」という意味だろう。挑発か。こんな危なさがあるから見ていたい、もっと見たいと思うのだ。


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