2016年02月14日
玉木くんの声を聴きながらフェルメールを見る
東京で今、「フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」をやっている。同じ展覧会は既に京都で開催されたのだが、京都展と大きく違うのは、音声ガイドが玉木宏くんであるということ。京都展をやった場所は好きなので、ここでも音声ガイドが玉木くんだったら京都のほうに行っていたと思うんだが……
さて、この展覧会。タイトルがちょっと違うんじゃないか、と思う人もいるかもしれない。むしろサブタイトルが実質を表している、と。何しろフェルメールとレンブラントの作品は各1点ずつ。ただし、両方とも初来日なので、その点では貴重だ。
フェルメールには熱狂的なファンがいるようだ。30数点しか現存しないその絵を全部見たい、と旅に出る人もいると聞く。
2008年に日本ではフェルメールが7点来日した展覧会があったので、それを堪能した人たちには、今回のはどうなのだろう。
私自身もその2008年のは見たのだが、その時思ったのはフェルメールの絵は小さいものが多いので、できればあまり混雑していない会場でじっくり見たいな、ということだった。
今回は平日の、あまり天候も良くない日だったせいか、その点では恵まれていた。絵の前でひとりじっくり見る、ということも可能だった。
イヤホンガイドの機器を借りて、番号表示のある所でその番号を押すと、解説が流れ出す。時にはBGM入り。あの声で「モティーフ」とか言われると心地いいんだな。
関東地方のみでこの展覧会のガイド番組があった(今度21日にBSで再放映があるらしい)。録画してもらって見た。玉木くんはあくまでナビゲーターで、その番組でフェルメールの魅力を解説していたのは福岡伸一さん。生物学者だが、『フェルメール 光の王国』という著書もある。番組では「フェルメールの絵にはエゴがない」というのが面白かった。これが俺の解釈する世界だ、と押し出していないのだとか。
『フェルメール 光の王国』を読むと、さらにフェルメールの魅力について「絵の中の光が、あるいは影が、絵としては止まっているにもかかわらず、動いているように見えること」「そこに至るまでの時間と、そこから始まる次の時間への流れが表現されていると思える」と書いている。
それを読むと、ははぁ、だから玉木くんはこのナビゲーターにふさわしかったのだな、と納得する。彼はよく写真を撮る。『秘境ふれあい紀行』では毎回、旅先で彼の撮った写真が紹介されたが、流れる滝、波打ち際、木の間から射す光、などの写真の多かったこと。そして空。雲海。つまり彼の撮る対象は、移りゆくものの一瞬なのだ。
そういう彼が、一瞬の光を留めようとしたフェルメールの解説をするのはぴったりだと思う。
もちろん、初めに書いたように、ここにはフェルメールの絵は1点しかない。しかし、その他の作品でも、どちらかというと小さな親密な感じのする絵を見ながら、その声だけを耳から入れることにより濃密な愉しみがあるような気がした。
さて、この展覧会。タイトルがちょっと違うんじゃないか、と思う人もいるかもしれない。むしろサブタイトルが実質を表している、と。何しろフェルメールとレンブラントの作品は各1点ずつ。ただし、両方とも初来日なので、その点では貴重だ。
フェルメールには熱狂的なファンがいるようだ。30数点しか現存しないその絵を全部見たい、と旅に出る人もいると聞く。
2008年に日本ではフェルメールが7点来日した展覧会があったので、それを堪能した人たちには、今回のはどうなのだろう。
私自身もその2008年のは見たのだが、その時思ったのはフェルメールの絵は小さいものが多いので、できればあまり混雑していない会場でじっくり見たいな、ということだった。
今回は平日の、あまり天候も良くない日だったせいか、その点では恵まれていた。絵の前でひとりじっくり見る、ということも可能だった。
イヤホンガイドの機器を借りて、番号表示のある所でその番号を押すと、解説が流れ出す。時にはBGM入り。あの声で「モティーフ」とか言われると心地いいんだな。
関東地方のみでこの展覧会のガイド番組があった(今度21日にBSで再放映があるらしい)。録画してもらって見た。玉木くんはあくまでナビゲーターで、その番組でフェルメールの魅力を解説していたのは福岡伸一さん。生物学者だが、『フェルメール 光の王国』という著書もある。番組では「フェルメールの絵にはエゴがない」というのが面白かった。これが俺の解釈する世界だ、と押し出していないのだとか。
『フェルメール 光の王国』を読むと、さらにフェルメールの魅力について「絵の中の光が、あるいは影が、絵としては止まっているにもかかわらず、動いているように見えること」「そこに至るまでの時間と、そこから始まる次の時間への流れが表現されていると思える」と書いている。
それを読むと、ははぁ、だから玉木くんはこのナビゲーターにふさわしかったのだな、と納得する。彼はよく写真を撮る。『秘境ふれあい紀行』では毎回、旅先で彼の撮った写真が紹介されたが、流れる滝、波打ち際、木の間から射す光、などの写真の多かったこと。そして空。雲海。つまり彼の撮る対象は、移りゆくものの一瞬なのだ。
そういう彼が、一瞬の光を留めようとしたフェルメールの解説をするのはぴったりだと思う。
もちろん、初めに書いたように、ここにはフェルメールの絵は1点しかない。しかし、その他の作品でも、どちらかというと小さな親密な感じのする絵を見ながら、その声だけを耳から入れることにより濃密な愉しみがあるような気がした。