2014年09月29日
『アバウト・タイム』
以下の文章では、映画『アバウト・タイム』の内容・結末について触れています。ご了承ください。
サブタイトルが「愛おしい時間について」。そのサブタイトル通りの内容だと言っていいだろう。
リチャード・カーティス脚本・監督作品。カーティスと言えば私には、ヒュー・グラント主演のロマンティック・コメディの脚本家というイメージがあった。ヒューが映画に出なくなって、カーティスもロマ・コメを書くのはやめたのかと思っていたが、そうでもないらしい。この話の前半は結構それっぽいのだ。
しかしヒューが出ていた頃には決してやらなかった、ありえない設定(ファンタジー的というのか?)が取り入れられている。
主人公のティムは21歳になった時、父から「この家の男にはタイム・トラベルの能力がある」と聞かされる。「たいしたことはない。自分の過去に戻れるだけだからな」とも。
確かに、初恋の彼女とは結局うまくいかなかったが、次に恋したメアリーに対しては、何度も挑戦して結婚することに。ティムの生まれはコーンウォールなのだが、ロンドンでの同居人の劇作家の書いた劇の成功にも貢献する。
メアリーと結ばれるまでの奮闘はロマ・コメと言っていいと思うのだ。しかし、その後、妹の人生を変えてあげようとしてもうまくいかないし(本人が決意するしかない)、子供が生まれたらその生まれる前には戻れない(正確に言うと、戻ったら、子供は今とは別の子供になってしまう)という経験もする。
父の忠告通り「同じ一日をもう一度経験してみる」と、大変だと思っていた日にも楽しいことはあったとわかってくる。
結局、タイム・トラベル能力をあまり使わずに過ごすようになったティムが久しぶりにそれを使うのは、父が最期を迎える時。
カーティス作品では今までにもあったような人物設定(主人公の相手役はチャ-ミングなアメリカ女性、ちょっと変わった妹や同居人がいること等)。おなじみのロンドンの風景。
「一日一日を大切に」と言いたげな本作には、カーティスの老成を感じたりもしたけれど、こういう話になると、やっぱりヒューの不在は寂しい。ティム役のドーナル・グリーソンはそれこそ平凡な感じの男性。メアリー役のレイチェル・マクアダムスは素敵だけれど、主人公がもう少し魅力的なら良かったのに、と思ってしまうのだ。
サブタイトルが「愛おしい時間について」。そのサブタイトル通りの内容だと言っていいだろう。
リチャード・カーティス脚本・監督作品。カーティスと言えば私には、ヒュー・グラント主演のロマンティック・コメディの脚本家というイメージがあった。ヒューが映画に出なくなって、カーティスもロマ・コメを書くのはやめたのかと思っていたが、そうでもないらしい。この話の前半は結構それっぽいのだ。
しかしヒューが出ていた頃には決してやらなかった、ありえない設定(ファンタジー的というのか?)が取り入れられている。
主人公のティムは21歳になった時、父から「この家の男にはタイム・トラベルの能力がある」と聞かされる。「たいしたことはない。自分の過去に戻れるだけだからな」とも。
確かに、初恋の彼女とは結局うまくいかなかったが、次に恋したメアリーに対しては、何度も挑戦して結婚することに。ティムの生まれはコーンウォールなのだが、ロンドンでの同居人の劇作家の書いた劇の成功にも貢献する。
メアリーと結ばれるまでの奮闘はロマ・コメと言っていいと思うのだ。しかし、その後、妹の人生を変えてあげようとしてもうまくいかないし(本人が決意するしかない)、子供が生まれたらその生まれる前には戻れない(正確に言うと、戻ったら、子供は今とは別の子供になってしまう)という経験もする。
父の忠告通り「同じ一日をもう一度経験してみる」と、大変だと思っていた日にも楽しいことはあったとわかってくる。
結局、タイム・トラベル能力をあまり使わずに過ごすようになったティムが久しぶりにそれを使うのは、父が最期を迎える時。
カーティス作品では今までにもあったような人物設定(主人公の相手役はチャ-ミングなアメリカ女性、ちょっと変わった妹や同居人がいること等)。おなじみのロンドンの風景。
「一日一日を大切に」と言いたげな本作には、カーティスの老成を感じたりもしたけれど、こういう話になると、やっぱりヒューの不在は寂しい。ティム役のドーナル・グリーソンはそれこそ平凡な感じの男性。メアリー役のレイチェル・マクアダムスは素敵だけれど、主人公がもう少し魅力的なら良かったのに、と思ってしまうのだ。