2014年08月19日

「幕末高校生」コミカライズとノベライズ

 そろそろ、これらについても書いておきます。
 以下の文章では映画『幕末高校生』および、そのコミカライズ、ノベライズの内容に触れています。ご了承ください。

 まずはコミカライズ。月刊誌『チーズ!』に三回連載された後、単行本化された。
 マンガだから当然可愛い。勝海舟も可愛い。映画では柄本明の演じていた陸軍副総裁の柳田もマンガでは20代に見える。
 実は映画では高校生活の日程がよくわからなかったのだが(四月のことかと思って見ていたら三者面談の翌日に中間テストがあるし)マンガのほうが流れは自然。タイムスリップするまでは皆一日の出来事にしてある。教師の川辺が「沼田(慎太郎)くん、進路希望書まだ出してないよね?」と声をかけ(だから三者面談の場面はない)、雅也は一週間くらい前に偶然見つけたアプリをダウンロードしてあって、それが慎太郎と小ぜり合いをした時に押されて……という展開。その二人の小ぜり合い(恵理も一緒にいる)に出くわす川辺も、映画のように車に乗っているわけではなく、徒歩で、したがって車はタイムスリップしていない(ルービックキューブは川辺のペンケースに付いている)。恵理は確かに授業中もファッション雑誌を見ているような子だが、映画ほど化粧は濃くない。ちなみに映画では川辺が教えている教科書は「総合日本史」、マンガでは「日本史Ⅱ」。
 マンガでは、江戸時代に行った川辺と雅也は、お白州に引き出されていろいろ問われる前に、通りがかった勝にすがって助けてもらう。マンガでは車はタイムスリップしてこないので、勝に「未来から来た」と信じさせるためにスマホで(写真と動画で)雅也が勝を撮影する。動画を撮られた勝が、オロオロ、ぼ~っとしているのが面白い。次にマンガでの笑わせどころは、探すために描いてもらった恵理と慎太郎の似顔絵がまったく似ていないところ。なお、映画では慎太郎は一年前に江戸にやってきたから(髪を伸ばして)髷を結っているが、マンガでは一年前に来たという設定は同じながら、髪はざんぎりのまま。
 恵理のタイムスリップしてきたのは、映画では半年前、マンガでは一か月前。恵理が現代から持ってきた化粧品を気前よく使っているところを見ると、一か月前くらいのほうが適切だと思うけれど、たぶん「恵理に惚れた柳田が奮起して副総裁になるには半年くらい必要」という考えから、映画では半年になっているのではないだろうか。
 マンガではせっかく見つけた慎太郎から冷たくあしらわれた川辺が、すぐに勝と飲み交わすシーンになる。つまり雨の中で江戸の町を見下ろして立ち尽くす勝、薩摩屋(商人)をかばう勝、を川辺が見ているシーンはない。飲み交わしたあと、足がしびれた川辺がよろけて勝に抱きとめられ、いい雰囲気に(?)というシーンもない。マンガでは、恵理をどうしても見つけたい雅也が勝手に半鐘を鳴らす(止められなかったのか? 映画では火消したちに止められる)。
 映画で少し不思議に感じたのは、あんなに恵理に惚れていた柳田が火事騒ぎのあと、恵理を探さなかったのか?ということだが、マンガでは「西郷からの使いが勝のところに行った」と柳田に伝える者が、同時に「恵理殿が勝の屋敷にいた」と言う。それを聞いた柳田は、政治的に対立していた勝に対して個人的な恨みも加わったわけで、余計に「勝を消せ!」という方向に動く。そしてマンガでは慎太郎は刀を帯びたまま、勝の家に泊めてもらいに来る(映画では夜半に慎太郎に刀を渡しに来る者がいる)。
 勝を斬れなかった慎太郎は行方をくらまし、未来へ帰る当日に川辺が探し回る……というのが映画だが、マンガでは、川辺、恵理、雅也の三人で探す。そして映画とは違うクライマックス。西郷との会談のため薩摩藩邸に向かう勝の前に立ちふさがる暗殺集団。その時、勝の前に出て彼らと戦おうとするのは慎太郎。勝を斬ろうとしたことをわび、自分なりの落とし前をつけようというのだ。しかし、勝は言う。
「おまえには人を斬るのは無理だよ」「いーや、斬らせねぇよ、なぜなら」「ここは俺の戦場だからだ」「おまえが戦うべきはここか? そうじゃないだろう」「未来へ帰れ!」
 そこへ「勝先生を迎えに」薩摩藩の中村半次郎が現れ、勝は薩摩藩邸に向かう。
 現代に戻った職員室で、パソコンに向かった川辺が勝の写真を見て、腰に下げたルービックキューブを見つけるのがラスト。
 クライマックスの違いからわかると思うが、勝にかかわる町人たち、中でも映画では重要な人物だった火消し「を」組の頭取・新門辰五郎はマンガではまったく登場しない。
 
 映画との比較で言うなら、ノベライズのほうが、映画に近い。タイムスリップするまでに授業風景と慎太郎の三者面談と中間テストもある。映画とほぼ同じ、捕えられた川辺と雅也がお白洲で取り調べを受ける場面もあってから、勝に引き取られる。ここでは車もタイムスリップしてくるので、映画同様、勝が車に乗って驚いたり喜んだりする。
 その後の展開も、火消し「を」組の頭が登場するのも同じ。ただし、映画に出てきた薩摩屋(薩摩出身の商人)は、ここにも出てこない。映画では「薩摩は江戸から出て行け!」と他の町人たちから責められる薩摩屋の主人を勝がかばう場面がある。思うに、この場面は原・脚本にはなくて後からつけ加えられたのではないだろうか。この場面について「町人が勝(武士)に石を投げるだろうか?」と疑問を挟んだ人がいて、そう言われればそうかもしれない。たとえば子母沢寛の小説では、相手が勝と知った上で歯向かう町人はいなかったと思う。だから、もしこれが後から挿入された場面で、そのために「不自然」と言われるのなら少し残念な場面とも言える。
 展開はほぼ映画と同じなので、ノベライズの面白さは、豆知識的な説明にある。
・幕末期、江戸には三〇〇〇軒以上の蕎麦屋があったという。
・江戸は約七割が武家屋敷というサムライの都市だ。
・江戸の酒は、たいてい水で薄められている。
などという記述を読むと「そうか」と思う。
 ここでのクライマックスは、勝が町人たちに守られて薩摩藩邸に向かうところ。後年、町人たちが歴史を変えたのだ、と語られることになった……と書かれている。
 そうつまりあの殺陣はまったく映画的な見せ場、クライマックスだったのだ。そしてやぱりそれが映画ならではの見ものだったと再認識した。  

Posted by mc1479 at 13:44Comments(0)TrackBack(0)
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