2014年04月15日

『ピグマリオン』(プレミアムステージ)

 ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』は、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の原作になったことでも知られる。もとの戯曲自体の上演がどれくらいあるのかは知らないが、昨年上演されたものをTVで放映していたので(録画して)見た。新国立劇場、日本語での上演(翻訳は小田島恒志)、イライザ役は石原さとみ、ヒギンズ教授は平岳大。
 以下の文章では、『ピグマリオン』の内容・結末に触れています。ご了承ください。


『マイ・フェア・レディ』でもおなじみの、コヴェントガーデン辺り。花売り娘イライザのひどい発音を聞き、「僕なら半年でこの娘を公爵夫人のようにして見せる」と、友人ピカリングに言うヒギンズ。ロンドンのコクニー訛りをどう訳してあるのかと思ったが、もとの通り、H音が抜ける特徴を活かして「花」が「あな」に聞こえたり。あとは全体を乱暴な感じにして(「私」と言わずに「あちし」と言っている)、どこの方言でもないが耳障りな話し方、を作っている。
 冗談のつもりだったヒギンズの家に「レッスン」を頼みにイライザがやって来て、特訓が始まる。映画『マイ・フェア・レディ』でもそうだったが、イライザが初めてヒギンズやピカリング以外の人と話す場面は面白い。映画のような競馬場という華やかな場所ではないが、ヒギンズの母の家で、訪問客と会話する。話題は天候のことと健康のことだけだったはずなのに、インフルエンザの話が出ると「私の叔母もインフルエンザで死んだってことになっています」「帽子をちょろまかした奴が叔母をやっちまったってことですわ」等と話して、これが若い客には「現代的な話題」として受ける。この辺りが一番笑える場面。
 さらに後の舞踏会ではイライザは完璧なレディぶりを見せるが、その直後にヒギンズの所から離れるのも知っての通り。
『マイ・フェア・レディ』の解説にもよく書いてあったように、『マイ・フェア・レディ』ではヒギンズのもとへイライザが帰ってきて一応のハッピーエンディングになるが、『ピグマリオン』は、そうはならない。だからこそ終わりに近い部分の二人の言い争いの場面は大事だと思うのだが、そこまでに比べて今ひとつだ。
 石原さとみは汚い花売り娘からレディになっていく変化ぶりは上手い。どちらの姿でも可愛い。しかしラストでヒギンズに抗議し、主張するところは叫びすぎのような気がする。
 ここではヒギンズもイライザも言っていることが噛み合わず、堂々巡りをしているようなものなので、難しいとは思うのだが、イライザの中に生まれた自立の決意がだんだん固まっていくようには見えにくいのだ。
 原作戯曲がそうだからか? 演出にもよるだろう。現代の目から見れば、イライザの自立を女性の自立として賞賛することもできるはずだ。でも、そういう演出ではない。見る人に判断を委ねる、というのであれば、「そうですか」としか言いようがないのだが、消化しきれていない印象を与える。石原さとみの変化っぷりを楽しみたいファンには満足できると思うが……

 余計な一言。某探偵さんに言ってほしいようなセリフが出てきた。
「そんな所にうずくまって、癇癪持ちの鳩みたいにわめくんじゃない!」  

Posted by mc1479 at 08:04Comments(0)TrackBack(0)
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