2014年04月08日

『ヒミズ』(映画)

 園子温監督の映画に惹かれる人は、どこに惹かれるのだろう? そう思いながら見た。もっとも私はTVで見たので「映画は映画館で見なければ『見た』とは言えない」と考える人にとっては初めから「はずれた」見方をしているわけだが。
 以下の文章では映画『ヒミズ』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 原作の設定は知らないが、映画は明らかに大震災のあと。ボートハウスに住む中学生の男の子、住田くん。池の周りには、家を失った人たちがブルーシート等で囲いをして暮らしている。最初のうちは中学に通う場面もあって、そこで「世界にひとつの花になれ」なんて熱いことを言って生徒から失笑を買っている教師に反発したりもする、住田くん。その住田くんを好きな、というかストーカー気味の女の子、茶沢さん。「住田語録」と称して、住田くんの言ったことを紙に書いてベッドの回りに貼っている。住田くんには、ときどき帰ってきて「お前なんかいらなかったんだよ。川で溺れた時に死んでくれればよかったのに」と言っては金をせびっていく父がいる。母は、別の男と家出してしまう。母がいなくなって住田くんは学校へ行くのをやめ、ボートハウスの仕事をする。茶沢さんも何かとその手伝い、というか邪魔をしに来る。茶沢さんも家では、母から「お前なんかいらなかった」と言われていて、この母は首吊り台を作っていて「完成したら死んで」と茶沢さんに言っている。
 住田くんがとうとう父を殺して、他の、世の中の役に立たない奴らも殺してやる、とさまよっている頃、池の周りに住むおじさんが住田くんの父が作った借金を(それを取り立てに来た奴らに住田くんもおじさんも殴られていた)返してくれて、住田くんは拍子抜け、というのでもないけれど、父より他に誰かを殺すことはなく、父殺しのことも茶沢さんに知られる。おじさんを演じているのが渡辺哲で、TVドラマの『事件救命医 IMATの奇跡』の時に「救急隊員を演じた渡辺哲さんの演技力に頼り過ぎ」と言っていた人がいたけれど、それを言うなら、この映画もかなりこの人の演技力に頼っている。肩代わりして借金を返す理由は若い住田くんには未来があるから、と言うのだが、そういうセリフを言ってもこの人なら大丈夫、と任せている感じがする。
 さて、この映画を好きな人はどういうところに惹かれるのだろう? 人を殴る・蹴る、殺す、ものを奪う、というは一種の見せ場になるというかエンターテインメントの要素にもなり得るのは確かだろう。そうでなければ、なぜそういうシーンのある映像作品があふれているんだ? というわけで、それらを「見せ場」として楽しめる人には、そういう場面が多いのはいいかもしれない。男子目線で見れば、茶沢さんが土手を転げ落ちる時、パンティ丸見えをサービスしてくれるのも面白いのかも(『愛のむきだし』で、マリアがキックする時にパンティ丸見えをサービスしてくれたのを思い出した)。茶沢さんの家庭の事情は解決されたとは見えないのに、茶沢さんは住田くんを救いに来てくれる。自首を勧め、待っていると言い、励ましてくれる。最後に、あの空回りしているような教師の言葉が茶沢さんによって繰り返される。そうすると、住田くんはそれを受け入れ、自分でもその言葉を繰り返していく。
 もちろん、これはファンタジーだろう。あんなに熱心な(つもりの)教師が、気にかけている生徒が二日も三日も欠席しているのに、家庭訪問に来ないはずはない(だって自分の熱意を示すいい機会ではないか)。では、この映画を好きな人は、そのファンタジー性を愛するのか。
 それともパンティ丸出しシーンを繰り返し見るのか。廃墟のシーンを眺めて痛みを感じるのか。
 もちろん、「震災後の人々」と「住田くん」は重ね合わせるようにされていて、虐げられ、理不尽なことを強いられ、そして怒りを爆発させたのに収束のさせようもなくて励まされてしまうという展開に皮肉を感じることはできる。繰り返し流されるモーツァルトの『レクイエム』の一節に、この映画は鎮魂歌なのだと読み取ることもできる。そうして映画について何か語りたい人にとって、そういう複数の読みができる映画は重宝だというのもわかる(私だってこんなにつらつらと書いてしまっている)。その辺りに惹かれる理由があるのか、と考えてみた。  

Posted by mc1479 at 08:44Comments(0)TrackBack(0)
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