2014年03月24日

『あなたを抱きしめる日まで』を見て

 以下の文章では、映画『あなたを抱きしめる日まで』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 原題はシンプルに『フィロミナ』。主人公の名前だ。事実をもとにした話。

 十代で妊娠・出産し、修道院で働かされたフィロミナ。息子は三歳でアメリカへ養子に。それから数十年、今は五十歳になっているはずの息子に会いたいと、娘のジェーンに打ち明ける。ジェーンは、BBCの政府の広報担当をクビになった元ジャーナリストのマーティンに話をし、マーティンは記事にする約束で息子探しを手伝う。
 アメリカまで行ったものの、息子は既に死んでいた。ゲイで、エイズによる死。しかし、弁護士として成功し、恋人もいたことがわかる。
 ロマンス小説を好むおばさんで、アメリカの高級ホテルの朝食に浮き浮きするフィロミナ。そんなフィロミナへの同情よりも、修道院の非人道的なやり方への怒りが勝っているようなマーティン。日本のドラマだったら、この二人が心を通わせていく過程をもっとじっくり描きそうなものだが、あくまでも明らかになっていく事実の驚きで見せていく。
 同性愛者へのバッシングの中で息子の晩年は大変ではなかったかと思わせるセリフもあるが、そこにはそんなにこだわらない。
 マーティンが実は十年前に、フィロミナの息子に会ったことがあると思い出すシーンも短く描かれる。
「力強い握手だった。そう、力強い握手でなければ、あんな出世はしない」
 会っていなくても言えるような感想である。しかしフィロミナは、それに満足そうな笑みを返す。
 息子の墓は、かつてフィロミナが居た修道院の庭にあった。そこを訪れた二人は、母と息子がそれぞれこの修道院に問合せをしていたのに、修道院は二人を会わせなかったのだと知る。
 マーティンは怒るが、双方に隠していた老尼僧に対して、フィロミナは「私はあなたを赦すわ」と言う。マーティンは「赦さない」と言う。
 神を信じないと公言するマーティンに対して、フィロミナのこの「赦す」は宗教的なものなのか。「赦す」側が上位に立つのだとしたら、フィロミナはこの時、自分を苦しめてきた尼僧の上に立ったのか。
 しかし映画は、そういう判断をしない。十代の妊娠や、国外への養子(しかも金銭のやり取りを伴う)という社会的な問題を含みながら、それがメインではない。事実が明らかになっていく面白さはまさにエンターテインメントだ。旅を終えたフィロミナとマーティンが友人になりました、という人情話でもない。
 あらためて、ああ、スティーヴン・フリアーズ監督作品だなと思う。ずいぶん前の『マイ・ビューティフル・ランドレット』にしても、話題になった『クィーン』にしても、社会派的な側面はありつつ、見ている間のわくわく感が良かったのだ。そういう彼のサービス精神が、この映画にも生きている。  

Posted by mc1479 at 13:28Comments(0)TrackBack(0)
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