2013年09月27日

『幸福のスイッチ』(映画)感想

 NHK-BSで放映されたのを見た。予想とは少し違ったのだが、物足りないところがあった。
 以下の文章では『幸福のスイッチ』の内容に触れています。ご了承ください。

 東京のデザイン会社で上司に反発し、勢いで「辞めます」と言ってしまった主人公が、実家の電気店を手伝いながら、今までより家族のことを理解していく。
 母は既に亡くなり、電気店は父が経営(その父がケガで入院したので、手伝いのため呼び戻された)。子どもは女ばかり3人。結婚して妊娠中の長女、高校生の三女。主人公の怜は次女。
 都会生活に失敗した主人公が田舎で癒されていく、というのなら、よくあるパターン(嫌いではない)。ただ、ここでは怜が上映時間の半分以上も不機嫌な顔のままなので、見ていてしんどい。
 地方にも大型安売り電気店は進出している。小さな電気店のおやじである父は、買ってもらった後の修理を大事にし、何もなくても「電灯切れたりしてませんか」と聞いて回り、呼ばれれば豪雨の中でも出かける。
 怜もそのやり方に巻き込まれるうちに、自分で「お客さんに喜んでもらえた」と思える瞬間に出会うのだが、そのようにして小さな電気店のあり方を肯定していくところに、不満というか不安がある。どのみち、そういう小さい店の将来は明るくないだろう。大事なお客さんの高齢化も進んでいる。そういう危惧にちっとも触れないで、主人公を「心温まる人とのつながり」に入れようとしていくのは、どうだろう?

 もっとも、怜はまた東京に戻って、もとの会社に勤める。それくらいは「大人になった」わけだ。
 怜がもうひとつこだわっていたのは「父が浮気をしていたのではないか」ということ。これに関しては、怜よりも思い切りのいい妹が「確かめに行こうよ!」と言い出し、女のところへ乗り込む。女の話を聞いてもビミョーなのだが、その「浮気だかどうだかわからない」ということを、姉と妹は「ま、いいか」と肯定し、怜だけが「いいの~?」と叫ぶ。しかし、それ以上何か行動するわけでもない。主人公の、こういう「はっきりさせたいのか、そうでないのかよくわからないところ」も受け入れにくい。姉と妹は「はっきりしないままでも構わない」と思える人たちなのだが。
 いずれ先細りになっていきそうな地方の暮らしをそのまま肯定しているところと、主人公の歯切れの悪さ。それが、どうもこの映画を好きになりにくい理由だと思う。  

Posted by mc1479 at 08:17Comments(0)TrackBack(0)
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
mc1479