2013年09月15日

映画『バレンタインデー』を見てみた

『すべては君に逢えたから』は『ラブ・アクチュアリー』のような映画を作りたい、というところから企画されたと聞いていたけれど、最近の雑誌のインタビューを見ると『ニューイヤーズ・イブ』も参考にしたらしい。と言ってもそう都合よく『ニューイヤーズ・イブ』を放映していなかったので、運良く放映のあった『バレンタインデー』を見た。『ニューイヤーズ・イブ』と同じゲーリー・マーシャル監督作品で、こちらも多数の人がからむ物語だから、共通点はあるだろう(作られたのは『バレンタインデー』の方が早い)。
 というわけで、以下の文章では『バレンタインデー』の内容・結末に触れています。ご了承ください。

 10組以上のペアが登場するが、意外なところで誰かと誰かがつながっていたりするのは、この種の映画のお楽しみ。10歳の男の子の恋を描いている点が、『ラブ・アクチュアリー』から影響を受けている感じがした。
『ラブ・アクチュアリー』は何週間かにわたる物語だが、これは文字通り『バレンタインデー』一日の物語。朝から始まって夜中で終わり、そこでうまくまとめて見せる。
 中心になっているのは花屋の男。彼のシーンから始まって、彼のシーンで終わる。その次に多く出てくるのが、花屋とは長年の友人の小学校の教員。男女だが友達と思っていたこの二人が、最後に結ばれる。
 花屋と小学校教員、という設定に企みがあると思う。両方とも多くの人に接する職業だから、つながりを作りやすいのだ。特に、バレンタインデーの花屋は大忙し。配達の途中で誰かに会ったり、注文に来た人からその思いを悟ったりもする。
 さらに、TV局のインタビュアーも登場して、次々に出てくる人たちをつなぐ役目も果たしている(花屋は市場で、そのインタビューに答えていた)。
 意外さも含め、そういう巧いつなぎ方に計算を感じるのも確かだ。なるべくいろいろな人を登場させようとしているのもわかる。
 でもその分、『ラブ・アクチュアリー』に登場した、アメリカへ行けばモテると信じているイギリス男(そして実際にモテてしまう)のようなバカバカしいエピソードはない。
 それぞれの登場人物が、あまり気の毒な目にあわないようにもしている。『ラブ・アクチュアリー』ではエマ・トンプソンが長年連れ添ってきた夫に浮気される妻を演じていた。気の毒だが、泣いているエマの場面はとても良かった。作り手が彼女を愛しいと思っていたからだろう。
『バレンタインデー』は収まるべきところに収まったという感じのする映画だけれど、おバカな行動をする登場人物への愛しさはあまり感じられない。バカな行動は、その後に来る収まるべき結末へ向かうための一段階のように描かれている。
 そこを「巧い」と見るか、「もうちょっと偏りがあってもいいのに」と見るか。これをよく出来た映画と思えるかどうかは、そこにかかっているような気がする。  

Posted by mc1479 at 06:57Comments(0)TrackBack(0)
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